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すみません、ではなく、ありがとう、を|6m4d
ベビーカーを押しながら街を歩くと、いろんな人が助けてくれる。
エレベーターでドアを開けて待っていてくれる。狭い歩道で道を譲ってくれる。バスを降りるときに手を貸してくれる。電車内で端のスペースを譲ってくれる。
妊娠後期に大きなお腹を抱えていたときもそうだったけれど、これまでの人生、歩いているだけで気遣ってもらうことなんて殆どなかったから、とても新鮮な気持ちになる。
気遣ってもらい慣れていない私はそんなとき、「すみません」と言ってしまう。そして言った直後に「なにを謝っているんだろう…?」と勝手にモヤッとする。
便利な言葉で汎用性も高いけれど、だからこそ冷静に意味を考えてみると、不自然な使い方になっていることは少なくない。
数ヶ月前、地下鉄のホームを歩いていてベビーカーをホームドアにぶつけてしまったとき。近くに立っていたご婦人がとっさに「危ない!」と言い、私はとっさに「すみませんっ!」と言っていた。誰に何を謝っているというのだろう。
そこで最近かなり意識して、かわりに「ありがとうございます」を言うようにしてみたら、これがとても小気味よい。謝罪より感謝の言葉を口にするほうが心地よい、ということはもちろんあるが、それだけではないように思う。口にした瞬間、そうそう、今の私の気持ちを正しく表現しているのはこの言葉だ、ととてもしっくりきて、晴れ晴れとした気持ちになるのだ。
気遣ってくれた相手に「ありがとう」と感謝する。文字にするとこんなにも当たり前なのに、気を抜くとすぐにぼやけてしまう。
素直な気持ちを素直に言葉にするためには、鍛錬が必要なこと。そしてそれを怠らずに積み重ねると、ちゃんと自分に返ってくるということ。些細な例だけれど、そんなことを学んだような気がする。
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最近の走りがき。
・機嫌が良いときはよく笑うようになって、ますますコミュニケーションの取り甲斐がでてきた。寝返り返り成功したとき、くしゃみ出たとき、遠くから目が合ったときなど、ニヤ〜と笑う。
・絵本を自分で買い始めたら節操なくどんどん買ってしまいそうで、今まで近所の子育てひろばで借りるようにしていたけれど、ついに購入。一度借りて(私が)気に入った「くっついた」。今日読んであげたら「くっついた〜」のところで笑ってくれた。
・水分補給、引き続き練習中。紙パックの子ども麦茶も買ってあるけど、夏場は痛むのが怖いので湯冷ましばかりあげている。ストローだんだん溺れずに飲めるようになってきた。
・ゆるくお座り練習開始。めっちゃグラグラする。
・3連休は両親に車を出してもらって、祖父がのこした家にお泊りへ。私も子どもの頃からよく泊まりにいっている慣れ親しんだ場所なので、いろいろと気楽だった。子は広い居間でコロコロと転がりながらよく遊び、いつにもまして昼寝せず、夜は広い布団で爆睡した。離乳食は手間を考えてフリーズドライのBFを持っていったけど、美味しくなかったのかあまり食さず。
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