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倭歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。

 2020年の年始め。私は、さいたまスーパーアリーナの壇上で3万人の観衆の中で仮名序を朗々と唱える白い神様に魅入っていた。真っ白な装束に松明を掲げるその姿はまるで天地を司る人ならざるもののようだった。

 ミュージカル「刀剣乱舞」歌合 乱舞狂乱。万葉集や古今和歌集の和歌をベースに刀剣男士たちが繰り広げるエピソードに私は引き込まれた。和歌に興味はあるものの古典の成績はいまいちだった私は、その場では元となった和歌が聞き取れず、意味を理解することもできなかった。しかしオタク心に火が付きその日出てきた和歌を、和歌に詳しい審神者(さにわ:ここでは刀剣乱舞のユーザのこと)さん方の考察を調べまくった。

要するに推しによって和歌への興味が湧いたのである。

 刀剣乱舞とは長きに渡り人々に大切にされてきた「日本刀」に宿った付喪神達がタイムスリップが可能となった2205年の未来で過去の歴史を都合よく改変しようとする敵から正しい歴史を守ろうと、審神者によって人の形をした刀剣男士となり戦うお話です。
 オンラインゲームが原作で2作のアニメ化、ミュージカル化、舞台化(ストレートプレイ)作品があります。
 私の最推しは冒頭に書いた白い神様こと「鶴丸国永」現在は皇室の宝として現存する平安時代の太刀で京都藤森神社に縁があります) 

 そんなオタク的動機から角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス日本の古典」の万葉集と古今和歌集を読んだ。そして和歌の言葉の美しさ、千年前の日本人の心の機微のロマンチックさに魅せられた。

 その中で印象に残った私の推し歌を、忘れないようにいくつか記しておこうと思う。なを、私の好き勝手なとんでも感想&解釈を添えておく。

一、言わむすべ、為むすべ知らず、極まりて、貴きものは、酒にしあるらし
なんとも言いようもなく、どうしようもなく最高に貴いものは酒であるらしい。by.大伴旅人

 読んだ瞬間吹き出してお腹を抱えて笑った。これはTwitterかと思った。
これを含めて十三歌、大伴旅人による酒を讃める歌があるそうだ。千年前の偉い人が酒を飲んで酔っ払いながら大真面目にきれいな言葉で酒をひたすら讃えまくっている。そして言っている内容はただの飲兵衛だ。どうやら千年前も今も人間が酒好きであるのは変わらないらしい。笑う。

二、貧窮問答歌(長いので引用は割愛する。ぜひビギナーズ・クラシックスの解釈を読んでほしい)

 中学か高校の日本史で必ず出てきたであろう貧窮問答歌。名前と竪穴式住居で泣いている貧しい人のイラストだけは記憶にあったが内容はさっぱりだった歌である。
 この歌は前半と後半に別れている。前半の男は貧しいが衣食住があり酒を飲みながら「この世にまともなやつはいねぇのか」と嘆いている。対して後半の人物は竪穴式住居で着る物も食べるものもなく家族で身を寄せ合って生き延びているのに追い打ちのように税を取り立てられこの世の不条理を嘆いているらしい。
 これも今のTwitterのようだと既視感を覚えた。奇しくもこれを読んだとき、自粛期間の真っ最中でありTwitter上ではこの世への不満や嘆きが溢れていた。残念ながら千年前も今も世の中というのはあまり変わらないのかもしれないとなんともいえない気持ちになったのを覚えている。
 そしてなぜ義務教育の教科書で万葉集といえば貧窮問答歌という形で紹介されているのだろうか。

三、花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。

 有名な小野小町の歌であり知っている人も多いと思う。

 本来この歌が指す花は桜であるそうだが、6月に紫陽花を生けていたときふとこの歌が思い浮かんだ。紫陽花は水や土のpHによって色が変わることから「七変化」とも呼ばれる花である。

 2020年、梅が咲き、桜が散り、紫陽花の色が移り変わっていく間に、随分とこの世の中は変わってしまったなぁ。

  恋に関する歌であるがその時の私にとって、これほど今の世の中を表現するのにふさわしい歌はないのではないかと思った。

四、いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな
 いにしえの昔の、奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、ひときわ美しく咲き誇っております。

 この歌は中学生の頃百人一首を覚える宿題があったときに最も気に入った歌でした。奈良の都から献上された桜を前に、菅原道長から「一首読め」と命じられた伊勢大輔がとっさに詠んだ歌だそう。とにかくきれいな言葉の響きと、とっさにこれほどきれいな歌を思いつく伊勢大輔の機転に感銘を受けた覚えがあり、今でもずっと好きな歌です。

五、朝寝髪、我は梳らじ、うるわしき、君が手まくら、触れてしものを
 朝の寝乱れた髪を梳かすまい、いとしいあなたの手が触れた髪だから。(作者未詳歌)

  もうね、キュンキュンしません?大昔のこの歌を詠んだ女性の手を握って乙女心について語り明かしたいところです。こんな胸がきゅっとなるシチュエーションを和歌に詠んでしまう。千年以上先の世に残ってしまう。千年前の日本人ってとってもロマンチックで大胆だなぁと思います。

 以上長々とお気に入りの和歌について綴ってみました。高校生の頃は古典の文法がややこしくて苦手意識を抱いていたけれど、意訳や後読みで自由に解釈してみると和歌ってとっても身近で面白いんだなぁと。まだまだ知らないことだらけなのでこれからもっと知っていきたいな。

 あと、個人的な意見だけど万葉集と古今和歌集を詠んでみて、万葉集のほうが好きだなぁって思いました。名前もわからない庶民の歌も残っていて、素朴な心が力強い言の葉で歌われているのがとっても好きです。なんかTwitterぽいなと。
 古今和歌集はとってもきれいな歌が多くて、勅撰和歌集だから公的なもので、今の世でいうとFacebookに似た雰囲気があるなぁと。

 そんなふうに考えてみると形が違うだけで人々が想いを言葉に表すこと、思いを伝えようとすることはどれだけの時を経ても変わらないのかもしれませんね。

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