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奈落の神々【成瀬川るるせ独自注釈】

 この文章は、先日、僕の職場に来館した某有名大学の教授に、Twitterのダイレクトメール上で来館時案内の補足をするために書いて送信した文章を一部、改変したものである。
 これをnoteの神話創作文芸部ストーリア用に投稿するのは、それがフォークロアや来訪神などに関連するものだからだ。
 では、さっそく本文をどうぞ。


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 先日は担当者不在のため、失礼いたしました。近々、担当からメールをお送りいたします。よろしくお願いいたします。
 さて、先日、僕の方で言葉不足があったと思われるので、補足させてください。
 先日、「柳田の文献にあたれ、と炭鉱の本に書いてある」との説明をしたのですが、当該箇所のある本は森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』という本に書いてあることで、コンテクスト(文脈)としては、炭鉱生活にまつわる〈フォークロア〉に関しては、柳田国男の〈山の民〉の研究が役立つ、ということを指した僕の発言でした。柳田は、炭鉱という意味合いにおいての山については言及しておらず、しかしフォークロアが〈山人〉に伝わるフォークロアと呼応する、という文脈においてです。
 田畑を耕す農耕民とその周り、例えば商人や武士などを、民俗学では〈常民〉と呼び、それ以外に、〈海民〉と〈山民〉という分類をつくります。山民にカテゴライズされるのは伐木・箕作・木地師・漆工・たたら・炭焼き・狩人・鷹匠・修験などの人々。それ以外に、いわゆる漂流民や芸能民なども山民に該当します。

〈炭鉱労働者〉は、自らを〈下罪人〉と称する文化があったことや鉱山労働者に、その昔はそれこそ受刑者を使っていた、などの背景なども含め、(言葉を濁しますが)例えば来訪神はもとは山の漂流民を指していたであろうことなど、つまり定住民ではない山の暮らしを考慮した上で、森崎は柳田の書いた本(言及はしていませんが『山の人生』や『山人論集』などを指していると思われます)を参照しろ、と指摘しているのです。
 森崎は、石牟礼道子を擁することになる同人グループを結成した上野英信の家族と寝食をともにしていた時期があり、インテリゲンチャのエリートとは言えないかもしれませんが、以上のことを踏まえての発言であることは間違いないでしょう。

 上司と違うフィールドの話なので、話が食い違う可能性があるため、今、補足いたしました。長文失礼致しました。

 成瀬川るるせでした。この文章の文責は僕にあります。

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