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右手にブーツ左手にグローブ【サイドスタンド6】 


 日々が早く過ぎる。あんなにのそのそしていたのに。アパートの裏手の欅が黄色く色付いていた。風に耐えているこの葉も間もなく潔く全て散るだろう。4年前の若々しい薄緑の新芽を見てから、この木の四季折々が生活の片隅にあった。慣れない一人暮らしの私を見ながらハラハラしていたかもしれない。もう芽吹く姿を見ることは出来ないんだ。

    中型二輪の免許は短期間で取得出来た。

 アルバイト先に社長が暖簾をくぐって入ってきた時は驚いたが、店長と知り合いらしく、特に私と話をするでもなく、烏龍茶を飲んで帰って行った。

「社長!お酒、ダメなんですね?」
「飲めなくはないのよ。あの二日酔いの苦しさが嫌なのよ」
「賢明です」
「ちょっと、あんた、免許取って、今日はアルバイトもないのに、何しに来たのよ」
「社長が暇だと思って」
「あたしだってやる事あるのよ」
「じゃあ、掃除します。今やったら、明日の朝の床掃除いらないでしょ?」
「好きにしていいわよ。掃除機振り回してぶつけないでよ」と、事務所へ引っ込む。
 ゴミなんてほぼないが、掃除機をかけながら、オートバイを眺め、どんな機種にしようかと、思いを馳せる。

 グレーのスーツ姿の長身の男性が「こんばんは」と入口の天井を気にするように入ってくる。
 初めて見る人だ。背が高く痩せている。
「アルバイト?」
「え?いや、一応、客です」
「掃除させられてんの?しゃちょーひどいね?」

 事務所の奥から、
「違うわよ。あたしがやれって言ったんじゃないわよ。今行くから、座っててぇ」と声を出す。
「分かった。で、あなたは何乗ってるの」と男性はカウンターの椅子に腰掛けながら私に聞く。
「春に買おうと思ってます。まだ決めてないです。今は、原付で、あちこち走ってます」
「そうかァ。今、一番楽しい時だね」
「そうなんです!」
「寒くなった日は道路が凍るから、乗っちゃダメだよ」
「自車校のバスが足替わりになるんで」
「そうそう、卒業生は利用できるからね。そういうの上手く利用してさ」

 私をカウンターに呼び寄せ、30分程、これはどうだ、これがいいぞと、パンフレットを広げる。パンフレットのオートバイ一台一台の特徴を私の顔をのぞきこみながら、詳しく教えてくれる。自分の事ではないのに楽しそうだ。
 社長が缶コーヒーを3本持ってきて、ほらと、カウンターに置いた。

「ずっと流してんの?この映像?」
「いいじゃない。あたしかっこいいんだもん」
「いやいや、俺でしょう」
 確かに映像の中に背の高い痩せた人がサトさん以外にもいた。このグループの人なんだ。ずっと気になっていたことを聞いてみた。

「あの、ヒロさんって、どうして亡くなられたんですか?」



 一瞬の静寂ののち、社長とスーツ姿の男性が身体を折りたたみ、呻くような声を出した。私がはて?と思っている中、ボクちゃんが工場から戻って「あ、ヒロさん!」と言った。沸き起こった大爆笑の中、恥ずかしさと、申し訳なさで、カウンターに突っ伏していた。そこからあまり記憶はない。浅はかだった。ガハガハと笑う声が遠くで聞こえる。そうだ。ヒロさんの笑い方だ。

   少しの間に、私はこの店の常連から「ヒロさんを葬った子」というセカンドネームを頂いてしまう。

 バイク店に行くことも出来なくなって1週間。社長とボクちゃんがバイト先に来て、烏龍茶を飲みながら、「誰にも迷惑かけた訳でもないし、ヒロも怒ってないし、いつも通りに来なさいよ」と社長が言った。
「伝説の女だよ。すでに」というボクちゃんに、氷水をかけてやろうかと思ったが「なに燻ってるの、ヒロさんの武勇伝みたいに、笑い話にしちゃおうよ」とニヤリとする。

 ヒロさんは一時期体調を壊し、長く入院していた。退院後は転職し海外に行き、最近になって日本に戻ってきたらしい。思い込みの勘違いの大失敗ではあったが、私のせいだけ?誰も死んだとも言ってないし、生きているとも言っていない。眠かったボクちゃんが目を擦って紛らわしいことをするし、肉厚のヒロさんが痩せていたし。

 まぁ、笑い話にしてもらったおかげで周りの人との距離が大幅に縮んだ訳だが。

 卒業までの間、私はこの店に入り浸った。

 オートバイはある程度の頭金を貯めてから買うつもりだ。

 いよいよアパートを引き払い、実家に戻った。春の新人研修を終え、社会人としての生活が始まった。知り合いの会社には入らない方がいい。私の行動が親に筒抜けなのだ。「頑張ってるみたいじゃないの。何かあったら、お母さんからおじさんに言ってあげるから」と言う。これが彼女の正常だと分かっている。しかし、私にはすでに異質の世界だ。私が歳をとって、あらゆるものに理解と寛容が出来るようになれば、相対せるのかもしれない。
 会社も続かないなと感じたが、まだ、行動を起こすべきでない。向かうべき方向が決まっていないからだ。


 この年の常連さん達の恒例ツーリングを見送りたかったが、社内の新人の行事が多すぎて、休みをもらえる状態ではなかった。ボクちゃんのメールが様子を伝えてくれた。ヒロさんも加わり、7人で無事にツーリングに出かけ、帰りに豪雨にあい全員ずぶ濡れになって帰ってきたという。店内はさながら裸族の集会だったとか。

 ヒロさん暗殺事件はサトさんも転がって笑ってたよという余計な事も教えてくれた。しかも「暗殺事件」になっているし。

 以前、サトさんには片思いの彼女が居るようだと話題になっていた。ボクちゃんが心配そうに、その場にいた私の顔を覗き込んだが、あまりダメージは無かった。彼が思う人は素敵な人なんだと思う。幸せになってもらいたいと思う。彼の好きな7人が集まり、あの場所から好きなツーリングに出かけた事実だけで幸せだった。

サイドスタンド5

サイドスタンド7《完結》







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