見出し画像

kono星noHIKARI 第11話


KPns Ⅱ    2000.01.16


 4年前の今頃の季節、
女「夫にこの子を一目だけでも見させてあげたいんです」

 幼顔の女はまだ目立ちもしないお腹に手をやった。病院で補助的な仕事をしていた。病気で入院している夫が助からないのであれば、どうにか命を延ばして、お腹の中の子供に会わせてあげられないだろうかと、いう事だった。

 波多野がひとりで歩いている時に腕を捕まれ、病理検査の試薬保管庫に引っ張り込まれ、懇願された。
 彼女の事は院内で時々見かけていた。いつも元気な笑顔を振りまいていた。多くの人から声をかけられ親しまれていた。掃除やシーツ交換、検体の回収など雑用をこなす彼女の存在を誰もが好ましく思っていた。波多野もそのひとりだった。

   波多野の延命治療が医学雑誌で取り上げられてから、やや周りが騒がしくなってきていた。

波多「カルテを見てみるね。ごめん。今、忙しいから」
 とその場をやり過ごすと、研究室に戻り実験作業に没頭している間に忘れてしまった。

 2ヶ月ほどして、院内で暫くぶりに彼女の声が聞こえ振り返ると一瞬目が合ったもののすぐ逸らされてしまった。お腹回りがやや目立ってきた。
 波多野は彼女の言葉を思い出し、院内のデータベースからカルテを取り出した。

──渡辺翔平 24歳 勤務先はこの病院のレストラン。調理師だったはず。見覚えがある。緊急連絡先は妻の晴海。21歳。若く見える訳だ。承認のサインはこの病院の事務局長の名前が記載されていて、親兄弟の欄には記載がない。身寄りがないのか。

 カルテには彼の遺伝子の変異によって引き起こされる稀有な病名が記されている。特定疾病の対象で治療には国の助成を受けることが出来るが、徐々に体の機能が麻痺していく完治の見込みは無い残酷な病気だ。しかし、遺伝子の状態を戻すことが出来たら、完治するのではないか?波多野は興味を持った。

 波多野はふたりがいるであろう時間に病室をノックし、ドアを開けた。
 窓際の椅子に座っていた晴海は波多野を見た瞬間にみるみる涙を溢れさせ
晴美「翔ちゃん!翔ちゃん!波多野先生が来てくれたよ」
 と、もう動かなくなった翔平の右腕にしがみついた。

 翔平は左手で晴海の頭を撫でながら、ゆっくり首を動かし入口の波多野を見た。そして瞼をゆっくり一度閉じた。彼の会釈だった。

 波多野はこれからの治療について、1週間に1度、深夜に病室で行うと伝え、その際は晴海には席を外すように伝えた。

 翔平の病気は遺伝子の突然変異である。治療法は翔平の遺伝子を少しずつ自分に取り込んで修復し戻していく方法だ。以前、遺伝子を操作するにはKPnsに戻らなければいけないかったが、波多野の研究と手技によりこの星でも操作が出来るようになっていた。翔平の病状を見る。もう少し早く診ていれば治療期間は短くなっていただろうと悔やんだが、次までの1週間で、修復した遺伝子が変異せず、順調に機能していけば、また、新たな遺伝子を治せる。先に明るい光が見えた。

 最初の1ヶ月は、治療後に発熱が伴ったが、修復した遺伝子が変異することは無かった。

 治療を知っているのは3人だけである。知らない看護師は悪化したと思い、巡回の頻度を多くしたが、波多野は上手く巡回時間を避けて、病室に赴いた。

 5回目の施術の際に、晴海が仕事の疲れもあってか、病室で寝てしまっていた。出産直前まで働く予定だと言う。疲れているのだろう。起こすのも可哀想と思いそのまま治療を行った。
 翔平の身体は可動域が広くなってきた。声もしっかり出せるようになって
翔平「晴海がいていいのですか?」
 と聞いた。治療の方法については一切、晴海には伝えていないようだった。

波多「大丈夫でしょう。あなたたちなら」

 波多野は自分の身体からFILMを発生させ、翔平を包み込んだ。そして、異常な遺伝子を探し出す。見つけた異形の遺伝子を原子レベルで組み換えて戻す。波多野が目で見て行っている訳では無い。波多野の神経が触覚のようにひとつひとつの遺伝子に触れ、情報を読みとっている感覚だ。

 途中で晴海が目を覚まし、息を潜めて施術を見ていたが、気付かないふりをした。ひとりぼっち同士のこの二人が偶然めぐり逢って、互いを思いやり、愛し合い、子供を待ち望み喜び合う姿を、波多野は自分の星に溢れさせたいと思った。


翔平「手を晴海のお腹に当てたら、我が子が。僕の子供が僕のこの手を蹴飛ばしたんです」

 翔平が目を潤ませ嬉しそうに言った。

 しかし、この日の治療が、最後になった。

 波多野が治療する事案は、ほぼこの星の医療では完治の見込みのない角界の大物が多い。数ヶ月前に、危篤状態のある人物を治した事から、重病説がガセネタだと叩かれた雑誌社が、病院関係者を執拗に付け回していた。危篤ではないのにわざと重病説を病院側が雑誌社に流して経済を混乱させ、株価を変えインサイダー取引を画策したのではないかとまで書かれてしまった。治療予定である大物政治家2人に関しても調べ始めたようだ。

 波多野の人権は完璧にこの世の中に組み込まれていたが、波多野の本当の姿は、世間に知られては困るものだ。企業内のある組織が動き、波多野を海外の医療施設に移し、その間に治療の辻褄合わせをして取り繕った。

 僅か4日で、波多野は海外の勤務医になっていた。

 波多野は渡辺夫婦が気がかりであった。海外ではほぼ軟禁状態で、VIPの治療をさせられた。日本の情報を求め続けた波多野に対し、翔平の死が知らされたのは日本を離れて半年もたってからだった。企業と波多野自身を守るがため、治療中の若者を死なせてしまった。彼以外にも、治療予定の5名も助けることが出来なかった。

 相馬そうまと言う名前で、医師として北国の無医村に開業したのは、そこからさらに2年後だった。日本の景色が忘れられなかった。日々、日本に行きたいと訴え続け、いくつかの条件をクリアした後、やっと願いが叶った。

 老人の多いこの優しい土地で、患者との会話を大事にしながら、寿命を尊重し無理な延命をしない治療を行った。

 しかし、この星で生きていく為には、やはり世界を動かす者たちの治療をすることが条件だった。企業もセキュリティを徹底し、相馬自身も慎重に極秘の治療を行った。遺伝子の研究は現在、資料をまとめたりすることぐらいに留まっている。


     ◇


 やっと震えも止まり、肌の色も普通に戻ってきた。

相馬「晴海さん、あなたは身寄りがいなかったですよね?」

晴美「え?はい。そうです」

相馬「親子ふたりきりですよね。私の研究対象として、この地に越してきませんか。翔平さんの命を終わらせてしまった私から、こんなことを申し上げるのは非常識ですが。生活面での心配も要りません」

晴美「そんなことをしていいのですか?治療のために?」

相馬「私がこの地球のものでは無いことは分かってますよね。私の後見はある企業です。あの雑誌社に追われた事をきっかけにセキュリティは万全を尽くさせています。冬はこの通りここは厳しい寒さになりますが、他の季節は穏やかで美しい。人口は少ないなりに助け合う事が当たり前の土地柄で。老人が多いのですが、皆、優しいんです。小さい町ながらも教育機関は揃っています。子育てには適してると思うのです」

晴美「子育て?」

相馬「住居も全て準備します」

晴美「子育てって。いつ死んでしまうか分からない娘の?」

相馬「完治出来ます」

晴美「完治って?・・・治る?」

相馬「翔平さんの治療で確信が持てました。完治します」

 しばらく茫然と宙を見ていた晴海からやっと絞り出すような嗚咽が漏れた。そしていつまでも子供のようにしゃくりあげて、泣いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?