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kono星noHIKARI 第5話

TOP


 ジェフとダニーそしてリオが、このビルに降り立ったのは昨年(2019年)の9月29日だ。

 ジェフは身体が大きいせいか回復に4日間を必要とした。オフィスに行くと既に2人はMUGENから必要なデータ収集を行っていた。

 即座に確認したが、Top(中央省)に転送するシステムにやはりトラブルはなかった。ジェフの役目は、システムの管理とTopへの報告だ。監視という厳しい立場でもない。そもそも彼を監視できる人もいないので、自由と言えば自由だ。各々がこの星での身分と生活が保証されており、やるべきことを行っていれば、友達を作ろうが、遊び惚けようが、他で働こうが、何ら問題はない。それゆえダニーもリオもジェフの存在は気にもならないようだ。3人で話をすることもあったが、リオが突然、現地調査に行くと国外に行ってしまってからは、忙しそなダニーに話しかけることもできず、ジェフは暇を持て余した。

 Topでの勤務は«gemini»(クローン)の申請審査や«shapeless»(形なき者)の識別確認などが主な仕事だ。責任者として部下を使い、時には現場に出て業務をこなしていた。多忙を極める仕事のため、健康には人一倍気を遣い、規則正しい生活を送っていた。休みの日は、居住区の清掃管理と自分の衣類の洗濯や生活用品を補充し一日が過ぎた。仕事や生活への不満もなく、淡々と日々を過ごしていた。インプットされた過去のTopの幹部職員の記憶も同じようなものだった。

 ダニーがK389のRequest(クローン申請)に来た際、あまりに憔悴した姿にジェフ自らが申し出て担当になった。このような場合は経験の多いジェフが助言しつつマニュアルに則って進めていかなければならない。ダニーとしてはその点も十分に分かっていた。精神的に不安定な時期にジェフがサクサクと進めてくれることに救われていた。
申請が受理された後もダニーは中央省に行けばジェフを探し出し、言葉を交わしていた。 Topの職員は勤勉で真面目が故に融通が利かないと煙たがられる。しかし、ジェフに対してラフに接してくれるダニーの存在はジェフの仕事の励みになっていた。
 TRANSが一緒だという報告も驚きよりも安心感が勝った。

 仕事らしい仕事がない事に気づいたジェフは、どんな生活をしていいのか先代の記憶にもなく、戸惑う日々を送っている。取り敢えずインプットが間に合わなかった日本語を覚えることにした。学習するというのも楽しいと思い始めたが、日本語は難しく、集中も途切れがちだ。
食事は、予約をするとオフィスや自分の部屋に届くようになっているが、レトルトの回復食もそろそろ飽きてきていた。

 日々の生活に戸惑うジェフを見兼ねたダニーが試しに買い物を頼んでみた。嫌がる素振りもなく「行ってみる!」とお使いのメモを握りしめ立ち上がった。

 ジェフは、恐る恐る歩道の端っこの建物側を歩いた。人の多さに目眩がしていたが、何度かお遣いを頼まれているうちに、人通りの少ない道や時間帯を知った。急ぎのお遣いでない日は少し遠くまで歩いた。
 いくら事前知識を入れてきたとしても、実際の街の賑やかさや色彩には圧倒される。あらゆる景色が新鮮に映る。この星の世界情勢を考えれば、降りたのが、平和な日本で良かったと思う。自分の星にいた時には思いもしなかった様々な感情が溢れてくる。

——この星の植物は綺麗だ。緑色の植物の多いところは空気が美味しい。そして季節が動くと植物の色が変わる。見上げると空が青く高く澄み切っている。湿度が高い自分の星の空はグレーの低い雲が覆っている。ドームから外へ出る事ができる星になったのは、最近だ。
 今、立っているこの地球という星の存在が、自分たちの星の進化を変えたことは誰もが知っている。遠い祖先が憧れたこの星。少しでも近づこうとしている自分たちの星もいずれこんな青い空になるのだろうか。


 ジェフは交通機関を利用する方法を覚えたが、季節を感じられる徒歩の方が好きだ。色彩の多い可愛らしい建物や、年代を感じさせる物も気になり、立ち止まってしまう。観葉植物が彩りを添えているお店などは思わず覗いてしまう。
 自分達のオフィスにもと、ココヤシとバナナとパキラの大きな鉢植え3つと、キッチンカウンターに松と梅の盆栽とトゲトゲのサボテンの鉢を置いてみた。ダニーは鉢植えを見てびっくりしていたが「いんじゃない?」と笑ってくれた。自分の意思で行動したジェフをダニーは誉めてくれた。ジェフにとって経験のないことだった。
 ダニーは食べ物に無頓着だ。テイクアウトした物を、ありがとうと言って食べ始めるが、モニターを見ながら、取りあえず片手で口に食べ物を運んでいる。黙っていると何日も食べないし、しゃべらない。夜もあまり寝てないようだ。だから、あんなに痩せている。どうにかしなければという思いがジェフに芽生えた。

 ダニーの夕食を探し歩いていてふと足が止まった。
 聞こえてきた音色に動けなくなり、その場にしばらく佇んだ。この店は40分ほど歩いたビル群から少し離れた場所にある。
 中で楽器の演奏をしているようだった。自分の星にだって音楽はある。娯楽もある。でも、興味は湧かなかった。何故か今、聞こえてくる音に胸の奥が揺さぶられる。ジェフは動悸が激しくなり自分の身体に異常が起きたのではないかとその日は何も買わずにあわてて帰った。
 体の不調ではなかった。個室に備わっているmedical examination は正常を示した。

 不思議な感覚を確かめるため、明るい時間のその店を訪れてみた。
 道路から少し奥まった所に入口がある。古いビルの一階。石が煉瓦状に敷かれ入り口から一段下がりそのまま店内の通路も石畳状になっている。古びた厚めの木の扉に『light&shadow』と筆記体で記されていた。
 カウンターでランチを摂りながら見回す。
 木製カウンターには木製の椅子が5脚。カウンター奥の壁には、色とりどりのボトルが収められている。自分の後の通路側の窓際には、小さめの丸テーブル席が6つ。テーブルとテーブルの間は比較的広く余裕がある。
 通路の奥に一段高く、小さなステージがあり、壇上の右に古いアコースティックピアノと、中央奥にドラムがある。道路沿いの木製の窓枠からの光が水の入ったガラスコップを通して、ドラムフロアタムのブルーラメを輝かせていた。ステージの隅には背もたれのない丸椅子が何脚か重ねて置いてある。
 外からの光を和らげるように観葉植物が置かれているが、煉瓦と木目調に合い明るい雰囲気だ。遠い昔から憧れていた様な懐かしい景色が目の前にある。

 日替わりの低価格のランチセットを目当てに学生も多い。どこからか音楽が流れていた。ジャズのようだったが、あの日ほどドキドキする音ではなかった。

 一旦戻り、ダニーに夕食を準備し、食べたのを見届け『light&shadow』にまた向かった。
 夜はカウンターに2個、テーブルにひとつずつペンダントライトが灯り、ぼんやりした橙色に観葉植物の影が落ちて違う店の雰囲気にしていた。
 アルコール類やソフトドリンク、ちょっとした軽食が注文できた。楽器の入った大きなケースを持ち込んでくる人が多い。飲食は二の次で、皆、セッションを楽しみに来ているようだ。ジャズやR&Bの演奏だ。見ていると、来店する年齢層はバラバラ、高齢の仲間同士や、年齢差が倍はありそうな初めての者同士がセッションを楽しんでいたりする。
 ジェフはカウンターの入口側、居心地いい1番手前の席でミルクやレモネードを頂きながらドキドキを抑えながら耳を傾けた。様々な楽器の音が身体に浸透してくる。

 何度か通う内に、常連客と挨拶ができるまでになった。
その老人はいつも、ジェフが座るカウンターの反対端にいた。まだ話したことは無い。ハンチング帽と夜だというのにサングラスをかけていた。ここの店員だろうか。ピアノの調律をしたり、テーブルを片付けたり、客と親しげに話し、音楽に合わせて踊ったりしていた。皆、この老人を知っているらしく、店に入る殆どの人が彼に声をかけていた。

 今日もご機嫌の老人が、ジェフに近付き手を取って踊ろうとした。断るつもりでとっさに立ち上がったジェフを
男「でっかいねー」
 と見上げた。

ジェ「ジジイがshortでしょ」

男「ジジイ?」

ジェ「Sorry、ジイサマ?」

男「はーはっはー!ジジイでいいよ」
 白い歯を見せながら笑った老人はジェフの手首を掴んで、有無を言わせず通路に引っ張り出しスイングし始めた。最初戸惑っていたジェフもリズムの取り方がわかってくると楽しくなった。老人も嬉しそうに両手をつないで、くるくると回るが、どうしても身長差の割に老人に振り回されているジェフの姿に、お客さんや奏者、店で働く人たちから笑いがおこった。
 恥ずかしさもあったが、一緒に笑っていると、体の真ん中らへんがポカポカして心地が良い。
陽気な老人とノッポの若者の楽しそうなダンスにつられ、客がひとり、またひとりと立ち上がり、終いにはテーブル席を全て隅に寄せて、全員が踊り出した。奏者も調子に乗って、サンバやワルツ、ハワイアンまで演奏し、皆が自由に踊り、この日は夜更けまで笑い声が溢れた。

ジェ「ジジイ、Very hot!」
冷たいミルクを一気に飲み干し、ジェフがカウンターに座る老人に上気した顔で言った。

男「そうか。良かった。Musicっていいだろ。Danceだって、みんなで楽しめるんだ。そしてYouはみんなをHappyにしたよ。YouはNice Guyだ」

ジェ「Really?」
 言った途端に涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきて、ジェフ自身が驚いた。
ジェ「Why?あれ?」
 初めて触れた音楽の世界に自分が受け入れられ、この星の人と喜びを分かち合った衝撃は大きい。

男「心は正直なもんだ。いつでもおいで、Musicの色んなことを教えてあげるよ」
 嬉しくてジェフは大きく何度も頷いた。

 サングラスの奥の老人の目は終始穏やかだった。

 老人は皆から「ぺいさん」と呼ばれていたが、ジェフが呼ぶ時は面白いから「ジジイ」でいいと言い張った。ジェフの名前を聞かれてJeffersonと答えた。

ぺい「ジェフ。日本語下手だね」
 そう言って老人は、笑った。

 ジェフはダニーが過ごしやすいよう、健康に気を使いながら、偏らないように時には小さなキッチンに立ち調理をしたり、洗濯や掃除を行なった。特に用事がない日は店に行った。音楽を聴くだけでなく、楽器を触り、奏で方を教えてもらったり、皆で歌ったりもした。

 折角の男前だからもっと格好良くしようと言い出したぺいさんに連れられ、ある日、洋服を買いに出た。彼は青地に白のチェックが入ったネルシャツに黒い革のベスト、ジーンズに革のブーツを履いていた。重量感のある金のネックレスと金の指輪はとても彼に似合っている。ジェフが着たこともない派手な服や、薄くても暖かい素材のものや、スニーカーや革靴、靴下、キャップまで、目を細めてうんうんと頷きながら選んでジェフに与えた。

 世間話もした。家族の話にジェフは家族は居ないと伝えた。

ぺい「僕も家族はいないよ。でも、仲間は色んな国に沢山いるんだ。楽しいものだよ。ジェフにもいるだろ?仲間が。仲間を大事にしなさい。見返りを求めないやつが大事な友なんだ。だが世の中には悪い奴もいるからな、お前みたいな純粋培養は騙される。いろいろ知識を身に着けて、身を守るんだ」 
 日本語の難しいニュアンスは英語で教えてくれた。

 ぺいさんのおかげで、店に来るほとんどの客と顔なじみになることが出来た。ジェフは今まで味わったことのない楽しい時間を過した。

 緊急非常事態宣言が発令されるまでは。

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