見出し画像

日本人ということなど

パリの中国人がやっているベトナム料理店でBo-bun(フォーと野菜、揚げ春巻きをまぜまぜして食べる料理)を食べている時に何気なく右を見たら平たい顔の人が至近距離でこっちを見つめてて、ちょっとびっくりした。っていうか鏡があっただけなんですけど。

普段自分の顔をそんなに見ない、というか化粧もしないし旅行中は特に服を着合わせてどうこうということもないので、間近で自分の顔を眺めてみて、あまりにさっぱりしているので驚いたのです。この20日間ぐらい、私の目に入る人たちは圧倒的に彫りの深いはっきりしたお顔立ちの人ばっかりだったので、なんか自分もそんな感じなんじゃないかと考えはしないまでも、忘れてた。

ベトナム料理店では私と同じ系統の顔立ちをしたアジア人が忙しそうに立ち働いているけれど、彼女たちの顔はなんだかもっと意思の強い感じがする。長年この土地でやってきたからなのかな。そういえば言葉を習得すると顔立ちもその言葉を話す顔に変わると聞いたことがある。発声とか、舌の動きが影響しているのかもしれない。

そんな一目でアジア人とわかる私が、滞在中に何がしかの嫌なこと(人種差別的な)を受けたかと言えば、あったかもしれないしなかったかもしれないというしかない。なぜ彼女たちが入れて私は入れないのかとか、なぜこの席に座らされるのかとか、話ができれば分かったのかもしれないが、「ツーリストだから」とか「お一人様だから」とかに取って代わるものかもしれずそこまで掘り下げて聞く力はない。

「Chinese?」と聞かれることはよくあって、「No, Japanese」というと「Sorry」と返されるので「謝らなくていいよ」と思う。自分が日本語話者だというだけの話だから。と思いながら、そんな風に引っかかるのも意識のしすぎだろうと考える。

街で日本人と行きあうと、不思議に緊張感が身体を走り目を逸らしてしまう。私はただひとりの外国人旅行者ですよ、同郷かどうかは知りませんけれどなるべく放っておいてくださいね、という気持ち。完全に意識しすぎ。ちなみに街にわりとある日本料理屋には行けていない。ネタとしては行った方がいいのかしら。

どうやら忘れたいという気持ちでいるようです。自分が平たい顔を持つ人間だということも、どこの国に属する人間かということも。日本人の矜持なんていうのもあまりなく、できれば溶け込み消し込んで生きたい。などと言いながら、思考は完全に日本語なので無理なんですけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?