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根底にある原体験は「生まれてきた私が悪いんだから、任期を終えるまではやることやっとくしかない」と割り切ったときの安心感

「針の筵」にわざわざ座りに行くのは何故か


私は昨年、三ヶ所のおてつたび(宿泊業2件、接客業1件)を経て、
「不得手な分野に気力が不足したまま参画することは他者に迷惑」
という結論を出しました。

昨年の、2件目の旅館に関しては
不可抗力だった(1件目で失敗に気づく前に契約決めちゃってた)としても、
あれから一年後の今現在、3件目の失敗を繰り返しています。
(この選択を、今の私は表層意識上で失敗と見做しています。)

全ての職場で真面目に働いていたこと(だけ)は、
是が非でも主張させていただきますが、

先方からしたら、
猫の手も借りたいくらい忙しいから募集したら
本当に「猫の手」が来た

ぐらいの戦力外具合なんじゃなかろうかとは、
ひしひしと感じています。

自分の体感もよくわかっていない人間が、
一年前に数週間付け焼き刃で概要を覚えただけの状態ですから、
その職場に馴染んでいる方達からすれば、
とても見てられた仕事ぶりじゃないでしょう。
(一年前に至っては、ずぶの素人です。)

針の筵状態になることは、
容易く想定できたはずです。

事実、今回のことも、私は
この「針の筵に座っている」という状態を
「そうなるに決まっている」と信じながら
来ていたと思います。

周りの反応がどうであってもそれは変わらず、
(キラワレテイルと認知するように、
それを手伝う視覚情報・聴覚情報を積極的に拾集していた
ようにも思います)
むしろそうなるように、
私自身が仕向けているんじゃないかと感じるような
自身の非言語的態度にも気づきました。

少なくとも、「針の筵」状態が完成する経緯の中、
そうなる(であろう)要所要所で、
ここで必要だと思われる「防ごうと努力する」行為に
あえて逆らうような言動をとっているんです。

無意識の私が作り出したい状態
「私が悪いんだから、やろう。」

ひとつ、
強く印象に残っている幼少期の記憶があります。
保育園に通っていた頃のものだと思います。


この話題に至る経緯としては、
人のせいにして不満を喚く子供か大人かを見て、
幼心に浅ましいと感じたことがあったのだと思います。

人との関わりである以上、
自分だって原因の一旦は担ってんだろ
という先入観もあったと思います。

このことだけは確信できたので、
「私、わかってるでしょ」というつもりで
母親にアピールしたんですよ。

「私なら、自分が悪いことにする」って。

母親から返ってきた反応は、
極めて現実的な
その対応の不備欠陥への指摘でした。

それじゃあ、本当に悪いことにされてしまう。
悪くないなら、ちゃんと正当性を主張しないとだめだ
といった指摘だったと思います。

このとき私はがっかりしました。
だから覚えているんだと思います。

何にがっかりしたかと言えば、

母親と自分は別の個体で、
全ての認識を共有しているものではないという事実に
気づいたこと

そして、

「それぞれが自分の非を認め合う」ような調和は起こらず、
譲歩した方が割を食う世の中だ
という現実の一端を垣間見たこと

です。

20代特に神経質になっていた
なるべく正直でいること、
「誠実さ」「真面目」というスタンスをとろうとすることの
根底には、他者から妙な濡れ衣を着せられないための
自己防衛手段の意味があったのではないかと
振り返って思います。

ともあれ、
このエピソードを思い出したとき、
もうひとつ、
後年の私がつくったのか、
それとも本当に当時そう思ったのかは定かでない、
かなり幼い頃の記憶も関連して思い出されました。

私にとって最も親しみのある安心感

「来た私が悪いんだから、
任期まではできる限りのことをして仕事に徹する」

というのが、
ここ(淡路島)に来た三日目くらいの時に
落ち着いた結論なのですが、

私はこのフレーズに、
待ち侘びた懐かしさを感じたんです。


私が生まれてから小学校に上がるまでの
五年くらいを過ごした団地で、
赤ん坊用のベッドに寝かされて天井を眺めながら思ったこと
(だという印象があります)
なので、多分1歳前後くらいの記憶だと思うのですが、

そのとき私はうんざりすることがあって、
でも、もう後戻りできないとも感じていました。

「生まれて来た私が悪いんだから、
 死ぬまでは生きなきゃ」

みたいなことを思ったんです。

赤ん坊にしては達観しすぎているので、
思い出した最近の私が作り出した過去である可能性も否めませんが、


母に自慢し(て返り討ちにあっ)た
「私が悪いことにする」
という発想自体、

赤子のときの
「私が悪いんだから」によって納得することで
不快に翻弄される状態から
耐えながら解放の機会をうかがう
という戦略指向に切り替えられた
成功体験に基づいていたのかもしれない
と思いました。


納得できると、
肚が据わるのか、肝が据わるのか、
いずれにしろ“安心”できるんですよ。

「自己責任」と言い換えても良いかもしれない。

「自分の責任だから、仕方ない、
 あとは起こる問題に無心で対処するだけ」

この状態になったとき、
安心感と共に、なんとかするための気力が湧いて、
パフォーマンスも上がるんです。

その経験を、10代の時、20代の時にも
それぞれの節目で実感して来た。
この安心感が頼みの綱だった。

だから、
再び自分を追い詰めようとして、
今回の選択をしたんじゃないか

と、今回の
誰も幸せにならない選択をした理由について
結論を出してみました。

正直、この状況は二度と味わいたくない。

過去に取り落とした感情に気づけたのなら、
もう誤作動は起こらないはずです。
どうか、そうであってくれ。

2024年6月3日 拝


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