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これはきっと部屋着で戦場に戻る時の不安感

以前、私を奮い立たせた言葉があります。

簡単な人生を願うのはやめろ。
困難な人生を耐え抜く強さを願え。

byブルース・リー

なんでいきなりこんな話を始めたかというと、
ついこないだ、

「本気になるのが怖いんじゃない?」

という言葉を突きつけられたからです。

指摘してくれたのは私の守護ガイドの方達です。

先日はじめてチャネリングセッションを受け、
自分のこの世での役割は何かを聞いてみたところ
守護の方々からとても具体的なコンサルを受けることになりました。

思い上がりを晒すようでお恥ずかしいのですが、

つい半年前までは、

自分は生まれてからじっくり時間をかけて
「過酷な状況を耐え抜く強さ」を育ててきたので、
それを既に手に入れている

と思えていました。

なので、冒頭にあるような格言は、
私にとっては激励であり、
自分を肯定する心地のいい言葉でもあったんです。

でも、この半年のうちに、
私が持っていると思っていた「強さ」は
"鎧"だったんだと気づきました。

それまでの傷ついた経験と
険しい道の歩み方ガイドをもとに
少しずつ身につけていた
分厚い盾の集合体だったんです。

幕末の志士や
明治期の激動を生き抜いた創業家の方たちに
憧れを抱きながら、

そうなれない自分に居着く私が
被っていた膜のような何かは、
多分これなんだと思います。

この半年間で少しずつ脱ぎ始めていたんですけど、

そうして生身の自分が出てきた今、
傷つくことを恐れていた頃の感覚が
戻ってきたんだと思います。

さしずめこれは、部屋着で戦線に戻ることへの不安。

今更ながら思い返すと、
私の今までの世界観、「戦場」だったんですよね。

誰と競うとか、
対立するとかはむしろ避けて通ってきた道だったんですが
生きているとどこにいても感じざるを得ない感覚って
あるじゃないですか。…あると思うんです。

↓この表現が、言い得て妙だなって思います。

ゲームはもう始まっていて、私たちはそこに後からむりやり参加させられた。
そのルールは私たちが制定したものではない。
でも、それを学ぶしかない。
そのルールや、そのルールに基づく勝敗の適否については
(勝ったものが正しいとか、負けたものこそ無垢の被害者だとかいう)
包括的な判断は保留しなければならない。
なにしろこれが何のゲームかさえ私たちにはよくわかっていないのだから。

内田樹『日本辺境論』

ゲームに遅れて参加してきたので、
どうしてこんなゲームをしなくちゃいけないのか、
何のための、何を選別し、何を実現するためのゲームなのか、
いまひとつ意味がわからないのだけれど、とにかくやるしかない。

内田樹『日本辺境論』

私、対戦ゲームとか苦手なので、
結構気負い気味に自分の手札を増やすことに躍起になっていたんですが
この強めの思い込みが功を奏してか、
修羅道担当の十一面観音様にご縁をいただきました。
最近、心強く感じる出逢いに恵まれます。

裸一貫、徒手空拳としゅくうけんでもって人生を切り拓いてきた
幕末明治の諸先輩方を
がっちがちの鎧に身を覆って眺めていた頃を思えば、
一歩、進むことができたのかもしれない。

この震えも「成長の証」と受け取ることにします。

8月19日 拝


知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。