車いすの話

中途障がい者になった。18歳のときだった。
段々と足の自由が効かなくなり、できないことが増えていった。ようやく障害と折り合いをつけられるようになった。それでも、夢ではまだ二本足で立っている。

車いすは生活を補助する補装具なので、車いすを作るにはお医者さんに処方箋的なものを書いてもらう。個人個人に適した形があって、座面の角度や、背もたれの長さ、車いすそもそもの大きさ、電動、手動などなど、想像より自由にどんなものでもいいというものではない。自分に合わない形だと褥瘡(床ずれ)などの二次的な疾病へのリスクが高まってしまう。

例えば、新しいお店が近所にできたとき、私は、そのお店の外観写真を探し始める。
半地下じゃないか、入り口に段差がないか、扉は自動か、車椅子が入れる広さがあるか、背の高いカウンター席がメインじゃないか等々。
情報がない時は直接お店にメールや電話をして尋ねてみる。できればメールの方が、断られるときに気楽でいい。一通り調査して、先行した知人がいれば、話を伺って、行けそうだと思ったら、恐る恐る来店してみる。
もし当日、やっぱり入店を断られてもショックを受けないように、受け入れてもらえる第二候補を考えながら……。

例えば、新幹線に乗るとき、日時や乗りたい新幹線の候補をしっかり決めて、多目的室か車椅子スペーに予約を取る。数年前から、予約に近いことはwebで出来るようになった。ありがたい。現状、有人のみどりの窓口で受け取ることになっているので、余裕を持って受け取りに行く。最寄りの窓口は時間によっては混雑するので、出来るだけ人のいない時間を狙う。
スロープを掛けてもらって乗車するので、当日は、遅刻しないように30〜20分前には改札に着くようにする。どの駅のどの場所で降りるか、しっかり駅員さんと打ち合わせして新幹線に乗り込む。

例えば、映画を観るとき、車椅子スペースで観る。古い施設や、狭いスクリーンだと安全の都合上、最前列の端になることが多いので、出来るだけ広いスクリーンを狙う。そうすると2ブロック目端っこで観ることができたりする。
ただし、人気の薄い映画だと狭いスクリーン一択だったりするので、体調が良ければ最前列で映画を観たりする。同行してくれる友人は、ありがたいことに、大概一緒に最前列で観てくれる。終わったあと「首痛かったでしょ、ごめんね……」と謝るまでがセットである。笑って許してくれる友人に感謝する。真ん中を選ぼうと思えば選べるのに、私を理由に、不便な中、隣で観てくれる友人は神様に見える。(新しい施設だと真ん中で観られる映画館もあると知った。もし将来そんな映画館が車移動圏内に建つのであればとても嬉しい)

例えば、旅行に行くとき、移動時間は徒歩の倍の時間を想定する。施設の構造上、エレベーターが端っこにある場合が多いし、エレベーターにすんなり乗れるとも限らないから。電車に乗るにしても、出来るだけ混雑しない時間を考えることから始まる。降車駅に連携を取っていただいて、安全に乗り降りできるように補助していただいているので、混雑してない時間でも、2〜3本電車を見送ることになる。

例えば、ライブや観劇をするとき、必ず事前に車椅子スペースに振り替えてもらう。車椅子の形状や、自力で何処まで出来るのか、介助者の情報等をお伝えして、当日、早めに会場入りする。

例えば、ガソリンスタンドに行くとき、セルフじゃ無いところを把握しておいて、燃料切れにならないように必ず計画的にガソリンを入れる。

いずれも対応してくださる皆様には本当に頭が上がらない。通常以上に労力がかかる訳で、顧客としてのコスパは最悪だろう。さらに言えば、慣れないことに気を使う精神的な労力もかかる。

その場では、ありがとうございます!!ごめんなさい!助かります!!!と全力の笑顔でお礼を言うしか無いのだが、内心この方に宝くじ当たって!!!!ボーナス倍になって!!!と常々思っているし、お客様アンケートを探してお礼を書いたりもする。

コンビニやスーパーで、「袋詰めしますよ」と、袋詰めしながらレジ打ちしてくださる方、「お車までお持ちしましょうか?」と明らかに業務マニュアルに無いことまで気を遣ってくださる方、押し戸や引き戸を開けてくださる方、みんな神様に見える。
可能な限り自分でできる範囲の行動を心がけているので、丁重に「お気遣いありがとうございます!大丈夫です!」とお断りすることもあるけれど「また来てくださいね」の言葉にとても救われて生きている。

でも、たまに愚痴や、絵空事を言いたくなる。

何でもかんでも調べるのは疲れるな、なんでホームページの隅から隅まで規約を探してるんだろう、会場や展示を先に把握すると、人生にサプライズが無いんだよな。とか、誰にも事前に連絡せず、ふらっと自由席の新幹線に乗ったり、予定がキャンセルになったことを理由に一本電車を早めて帰宅したり、気になる駅で途中下車してみたり、気が向いたときに、ふらっと気になる飲食店に寄ってみたり、スクリーンど真ん中で映画を観たり、最前列で推し活をしてみたり、そういうことがもっともっと気軽にできたらな……。

病気じゃなければできたのかな、なんて。

私のような車いすの人間が、怪我をしないように、出来るだけ社会に出てこられるように考えられて、手帳まであることを思うと、この愚痴や絵空事は現状、我儘だ。
できないことは障害の種類によって異なるし、様々な理由のせいで健常者だとしてもできないことや、我慢をしないといけないことはザラにある。

それでもたまに二本足で動いていた頃を思い出しては、絵空事を並べたくなってしまう事はある。それ自体は、許されたい。

だからこそ、具体的に何かを改善したいときは、行動に移す前に相手の立場に立って、アプローチの仕方は間違えないようにしたい。相手が、私の気持ちに立って手を差し伸べてくれたように、私も相手の立場に立って考えることを忘れないようにしたい。感謝や配慮や遠慮なら私にだって健全にできるのだから。