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蛍光灯

最近越してきたこの街には、肉屋と魚屋と豆腐屋と八百屋がある。こんな街があることを、わたしは東京らしいと思うようになっている。

特に私が東京らしいと思うのが、「何でも屋」。店によって名前はいろいろで、「金物屋」とか「道具屋」と名乗ることが多いけど、どの店もなんでも売っている。

店の前に溢れんばかりの、生活用品が並び、「包丁研ぎます」「セール中!」「◯◯あります」というポップが貼られている。ホームセンターというか、電気屋というか、前の街のそれは着付けもしていたし、本当に何でも屋と呼ぶのがぴったり。

この街にもそれはあった。引っ越し初日はそこでスリッパを。二日目には物干し竿を。そして今日は蛍光灯を買った。


3年前くらいの学校帰り、季節は忘れたけど。通学路にある一軒の家が、荷物整理のためか「ご自由にどうぞ」コーナーを設けて、毎日いろんな使えそうで使えないものを並べていた。私は毎日チェック(というか通学路)していて、3日にいっぺんくらい何か持ち帰っていた。

そのうちの一つに、水槽用の電灯があった。50センチくらいの蛍光灯が1本入るだけの電灯で、トレース台とかに使えるかな〜と思って拾ったものの、案の定ずーっと押入れに眠っていた。


で、引っ越して一週間、部屋の明かりが一つ足りなくて、その電気を使ってみるかとコンセントをつなげてみた。そしたら、点かなくて小脇に抱えて、、その何でも屋に向かった。

そしたらやっぱりあって、丁寧に付け替えてくれて、帰り道に落ちたら意味がないからと、紐で縛ってくれた。

家まで帰る道のり、背の高い痩せ型、白髪がちのおじさんとともだちになる暮らしを想像してしまい、にやけた。


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今日母と車の中で、「最近のスーパーはつまらない」話をした。たぶん、オリジナルブランドのこと。

楽だしやすいしいいんだけど、どんどん商品が少なくなってておもしろくないよね

買い物は選ぶのが楽しいのにね

大学生活では、だいぶセブンイレブンにお世話になった。学校でも美味しいご飯が食べられたのも、冷食の開発のおかげだし、いつだって買うものはオリジナルブランドだった。それはそれは、有難うだ


食べ物の中にも、「必要」と「余暇」みたいなことはあって、その区別のために買い物の時間を使ったりする。高い食品を買うことだけじゃなくって、同じ豆腐でもどの会社の豆腐にするかを、「歯触りよかったよね」とか「これはこのままがいいよね」とか「今日は味噌汁だから安いのでいいや」とか、そういった事を考えることが楽しい。

私は本当にスーパーの中を何度も往復もしてしまう。近所のスーパーは小さいからすごく肩身がせまいのだけど。何も考えずにスーパーに入るのが好き。むしろ何か考えて入ってうまくいった試しがない。

だからよく手ぶらでスーパーを出そうになったりして、あわてていらない食パンだけ買ったりすることも。


スーパーの中を歩くのと、ホームセンターの中を歩くのは、だいぶ感覚が近いのかもしれない気がしてきた、今。

値段とか、組み合わせとか、新しいとか、かわいいとか、無限にものがあって、その中から何を選んでもいい!みたいな。あの青白い蛍光灯の色とつるつるの床と有線の音楽とさっさか買い物をする人達。あのドライな空間から、にぎやかな食卓や休日が生まれるなんて、可笑しすぎる!おしゃれな高級スーパーやDIYショップなんかより、そこに無限があるのが、めちゃくちゃ可笑しい。


むやみにでかいスーパーに行きたい。そんで、家に帰ってから、「なんで買ったんだっけ?」ってなりたい。でかい半透明のレジ袋から永遠に買ったものを取り出したい。




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BOY'S LIFE/Kent FUNAYAMA(https://itunes.apple.com/jp/album/boys-life/1332629486)

ジャケットの気の抜けた顔に惹かれて聞いたら、気持ちよくて完全にヘビロテ