190617

晴れ

約二週間ぶりの現場
外部の庇が建ち、またスケールが引き締まった。

こないだコーキングが入った段階にしろ、
細部が出来上がることで、
どんどん塊がバラバラにされていくような感覚がある。

いつもの休憩時間、外でお茶を飲む風景が庇があるだけでまた違った様子になっていて、感動した。

ヒューマンスケールと言えば薄っぺらいけれど、人間と相性のいい大きさはあるように思った。

またそれが、建物とを結んでいる。

天井の仕上げがついた。
これもまた、鉄骨が銀色の帯として、新たな物質として立ち上がってきた。


何かと何かが隣り合うとき、相対関係が生まれる。

これは中山さんのいう、バスとタクシーの話そのものかもしれないけれど。

それを創作の論理として用いるとしたら、いったいどんな表現があるだろう。

ものが隣り合うことは極めて当たり前。
それに関係性を与えること、そしてその関係性が人に何を与えるか、ということに興味がある。

鉄骨の天井に仕上げをするとき、面を合わせるかかませるか、完全に離すか、、、
わたしがこの大仙の鉄骨造のどんな面を見せたいのかが目的で、図面が方法、そこに現象として、次のクリエイティブが起こる。

次のクリエイティブとは、単にDIYのことではなくて、
街に出て、少し寄り道をすることだと思う。

街について、創造力を働かせてみること。

普段は気づいていなかった、その街の特徴やおかしさを感じ取って、どうしてそうなのか少しだけ考える。

自分の知っている=頭の中にある 街の奥行きを広げていくことは、自分ごとにしていく一歩になる。

隣り合うもの同士、全て同じような関係ではないのだから、その都度考えてもいいと思う。
効率よく、ということで全てを解決しなくてもよい。

こないだ友人らと勉強会をして、言われたことがある

素人(建築初心者)だから出来たよね
これからどうやって素人であり続けるか、だよねー

と。

時間が経つと、どうしても経験をしていて知識がたまる。
それはやっぱり効率をよくする。

どの部分の効率は上げて、どの部分は常に素直にやるか、
見極めだったり身体の訓練がきっと重要なのだと思う。

演劇への興味は、俳優もしくは監督自身の「身体とフィクションの慣れ」との戦い方についてだろうと思う。

あんま固い言葉ばっかし使うのよくないけど、あんまり写真アップしたくないから書くのむずいな。

SD今年も出してみるか悩んだけど、どう考えてもまとまらないからやめそうだな。審査員去年と同じだし。といいつつ出してるかもだけど。

にしても東京との二週間ごと生活はなかなか難しい点があるなあ。
面白いことも多いし、かなり自発的に動くようにはなったけど、
体力というかモチベみたいなものはやっぱりルーティンが大切で、なかなか続かない。

それはまた考えよ。
何に興味があるのかははっきりしてきているのに、何を作りたいのか、が曖昧になりつつある。
なんでもやりたいし、だから建築選んだんですけどねー

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