甘いだとか、優しいだとか
最近自粛していたけど、久しぶりに一人カフェをしてみている。
チェーンの喫茶店には行っていたけれど、こういうおしゃれなカフェには久しぶりに、前がいつだったかわからないくらいに久しぶりに入った。
コーヒーとロールケーキを頼んだ。
椅子が深い。お尻から膝まで全部をクッションが支えてる。
ずっと人に借りていて、あとがきの意味がなかなかわからず、時間がかかって来た本を読む。
深い椅子で本を読むと、偉そうな感じになるから、なんか悲しくなって、前のめりになって、肘掛にもたれながら読んでみる。
そうこうしていたら、コーヒーが運ばれて来た。
ロールケーキも。
ロールケーキは、ふわふわというよりぎっしりめで、スポンジのキメがぎゅっと潰れたタイプの、私の好みだった。
コーヒーは浅め?透き通りめで、少し酸味があったけど、なぜかロールケーキを食べ始めると、しっくり、美味しく感じた。
おしゃれな店内は、白と黒が多いけど、スタイリッシュというよりは、暖かい。
二階の静かなショップに比べて、音がうるさい
なんでだろう。まあ良いのだけど、少しショック。
席からは、隣のタイヤ屋のピンクと黄色の配色の看板と、カラフルなのぼりが見える、その奥から、オレンジ色の太陽の光が差す
きっと平日は静かだろうな、と信じて、好きなロールケーキを食べながら、本を読む
きことわ を読んでる
あとがきは、町田康が書いていた
きこと話を読み終わってる時、読んでる最中、何を思ってたかというと、懐かしいな、えりちゃんを思い出すな〜ということで
きこととわ、とは違う思い出なのに、仲が良かった幼馴染との思い出が蘇ってた。
いや、蘇るというほど鮮やかではなくて、あの時の感触、甘い匂い、甘い柔らかさ、肌と肌がベタベタくっつくかんじ、そういう感覚のイメージがぼわっと体に戻ってくる心地だった。
最近、というか中学生くらいから、あんなに誰構わずべたべた手を繋いだり、ほっぺを触ったり、髪をひっぱったりすること、なくなってた
バスケ部の時の、汗で濡れた腕同士が擦れ合う感触は覚えてるけど、だいぶジャンルが違う
決して、いつも優しいやわらかい空間や、やり取りではなかったはずなのに、記憶の中のえりちゃんとの思い出は、甘さがある。
美化してるのかな。
みんなが小さな時の思い出を、良い思い出って言うから、良い思い出だと思ってるのかな。
それはそれで良いと思うんだけど、思い出す甘い匂いはきっとえりちゃんちの匂いで、綿あめとかの甘さとは違う
どうでもよくなって来たけど、優しい気持ちになった
ゴールデンウィーク前半戦、わたしは自粛して休みではないけど、天気が良すぎるから散歩している
おばあちゃんとかになる頃、今のことを思い出す時も甘い匂いなんだろうか。コーヒーの匂いなんだろうか。それとも後ろから香る、タバコの匂いなんだろうか。
あとがきのことは、理解できて、嬉しくなったので、きことわ、は閉じて
昨日なぜか買った、映画ビデオ演出の基礎技法という古本を読もう