本当にどうでもいいこと

ちょっとおもうことがある。特に夏。

電車の吊り広告、可愛い女の子が脱毛を強制してくるの、正直ウザい

ムダ毛、という名の通り、腕や脚に生える体毛にわずらわしさを感じる。
夏になると、あっ、と気づいて剃っている日々。。

なんて私の話はいいのだけれど、最近周りの女子の数人から、剃らなくても良くない?的な意見を聞くようになった。

確かに、海外に行くと剃ってない人は多いし(白人で、毛も白いから気にならないのだけど)、そういう価値観は現代では当然だと思う。
面倒くさがりの私も、便乗して、この夏は剃らないでみよう!とか思ったりもしたけど、

やっぱり、ムダ毛なのだ、、

いっぺん剃ってしまったら無限ループなのだ、、

今月に入って、涼しくなり、あまり露出もしなくなった。少し毛を剃るのを忘れた。

あれ、そんなに気にならない。そんな気がした。
これはいけるかもしれない(何がだよ。。)

けど、ふと脇毛について思い出してみる。


なんでだろう。どうしても不快、に思ってしまう。
男の人のだとしても、吊り革を持つ脇から、チラッと(重要)見えるとびっくりしてしまう。
水着だとか、ノースリーブだとか、ユニフォームだと大丈夫なのに、ちらつき、みたいな瞬間には、びびってしまうんだ。


さっきお風呂に入ってる時、気づいた。

これは、コントラストの問題である。と。


腕なんかは満遍なく生えるから、ぼやあっと、透明度の違いみたいに思う。

ただ脇は、何もないところに群になっている。
ムダ、というよりも、目立っている、過剰だ。

そう思うと眉毛や髪の毛なんかも、群になって生えてくる。
それぞれ目に水が入ってこないようにだとか、光から守るだとかいろんな機能を持って生えている。

でも、ただ生えていたら、コントラストが強くてびっくりするから、だれかが「スタイル」を与えた。

ボブやマッシュ、スポーツ刈りやパーマなんかがそう。
眉毛だって、細いのが流行ったり、ボサ眉が流行ったり、剃り込み入れたりなんかして、みんなこだわりが何かしらある。

脇毛にもスタイルあればいいのかもしれない。

そうなったとしたら、みんな自己表現として、やたら高い吊り革を握って脇を見せびらかしたり、
脇に穴の空いた、オフショルダーならぬ、オフサイド(脇を英訳するとこうなる。。)スタイルが流行るかもしれない。(ある意味、セクシーとして需要があるのかもしれないが、置いておく)

でも大切なこととして脇の場合は、局所的にある、という配置的コントラストの他に、腕を上げた瞬間に見える、という時間的コントラストある。
それががびっくり=不快感=「ムダ感」を与えているのかもしれない。


「ムダ」という言葉は
「役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益。」
を意味するが、「ムダ毛」は本来切実な理由があってそこにある。
(本当に必要ないなら、進化した人類には生えないだろう。うらやましい。)

だから、ムダじゃない。
私の中では「びっくり毛」ということになった。