190702

曇り

塗装関係のサンプルが1日早く届いたの事で現場へ。
来週東京へ一度帰るので、ちょっと一区切りの打ち合わせ。

前にも書いた鍵の事で、解決してなかったことがあって行きの電車の中で唸っていた。
ひょんなことで、モノタロウか何かのおすすめ欄に出てきた鍵が使えそうで、解決の兆しが見えてきたし、みたことのないものだったので、落ち着いて現場に向かえた。

色については、大工さん達にに
「これは感性やからな〜(建築家さんの決めることは変わってるなあ)」
「これですか!!」「普通のグレーと違いわからへんなあ」とか、
塗装屋さんからは「こんな色作るの初めてや」と
言われていて、
「私もそうかもしれないと思うので、試してみます」と不安げに返していたので、
今日はみんなでその感性とやらの検証をした。

結果、とても良かった。
鉄骨や、天井のケイカル板(コストカットのため無塗装)、木材との色の相性がとても良かった事もそうなのだけど、
何より
「いい色やな!」と言ってもらえたことがとても良い収穫だった。

思わず、「これからこの色つこてくださいね〜」と言った。

建築を作ることの面白みは、こういうところにも潜んでいる。
自分がすべての工程を行う創作は、作品を見て学んでもらうだけで、客の能動性(センス)にかかっているところが多い。

それに対して建築は、協働することによって、学びをそれぞれに内在させることができる。
自分ではどうしても選ばなかったこと(選ぶ必要がなかったこと)が目の前で起こる事は、夢に近い。
そこまで劇的な学びではないかもしれないけれど、仕事の中でその瞬間があるのは割と価値があるのではないか。

今回の色の場合は、大工さん達にとっての気づきだが、私にもたくさん気づきがある。
宮大工出身の工務店でなかったら、ほぞに楔をさすような仕上げや、留め加工を進んで選ぶような事はしなかった。

しかし、この工務店のチャレンジ精神には頭が上がらない。


色について、思ったよりもたくさん使ってしまった気がしている。てか、そう。でも、間違っていないと思う。

これが大草原の中だったらまた全然違う。

というのも、外観を一望するとき、隣の建物が視界に入れば入るほど、この建築は面白く見える。違和感なく見えてくる。

この建築を見ながら徐々に後ろに進んでいくと、細部のものの質感や素材の取り合いはじっと見ていられるのだけど、面が一望できた瞬間に異様な手触りを感じ、視界に他のものを入れないと落ち着かないざわつきを覚える。

外のものが見切れて入ってくると、隣の屋根の色や形、草、海、とこの建築の間を視線が行き来し始めてほっとする。
この感覚こそ、私が最初にしていた風景の採集が寄与していると信じたい。

「視線が揺れる」ことができる=自由 と考えて見てもいいかもしれない。
ダンスかもしれない。


あ、今日ははが買い付けの出張から帰ってきた。
とある可愛い子供服ブランドの20SSのテーマが「A DANCE ROMANCE」だった!

そのブランドは、地球環境や動物愛護の活動もしているのだけれど、この「DANCE」には、動物のステップや、木々の揺れも含まれているのだそう。自然の中にある生物の運動だろうか。

「揺れる」という言葉からはいつも、
杉戸洋さんのこっぱとあまつぶ展を思い出す。
人はずっと揺れているということが書かれていて。
たんぽぽ(か何か雑草)を片手にその揺れている様を見ているところから、
会場内に立った長い長い棒とその先のわたがゆんらゆんら揺れているものを作ってしまう。

いわゆる全体性だったり、一貫性という言葉を持つ作品(建築問わず)は、ゆらぎを許してくれない。
だから窮屈と表現してしまう。(でもその細いトンネルの先に明るい世界が広がっているならいいけれど、大抵の場合トンネルは細く長い)

ゆらぎを許す作品が作りたい。
ゆらぎを表現するものではなくて、みる人にゆらぎを生む、可能であればグルーブを産み出させ、それぞれのステップを踏ませたい。

Dance as you like

かな。いい言い回しが見つからないけれど。そんな。
最近そういうライブに行けてない。
イメージは違うけれど、空間現代を初めて外で聞いたときの感覚が近い。