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、なような、でないような

今日はくもり、すこし肌寒い
今は大阪へ向かう新幹線の中、春休み真っ最中ですこし浮ついている空気
コンビニの薄いレジ袋がカシャつく音が少し耳障りでイヤホンをしちゃったりなんかして、

今は三島のあたり、曇り空に工場から出る白い煙が目立つ

今日はメリーゴーランドが見えない

前に新幹線に乗ったのは、三週間前京都に向かうときで、その時はすっきり晴れた日で
新幹線名物の富士山はしっかり見えて、ずーっと見えてた

(と記憶はあったけど、写真を見ると富士山は撮ってへんやんか、)でもまあ、
直交した道が、新幹線の動きと一緒にパースが変化していくのに、奥に見える山は動かない気色が、どことなくメリーゴーランドを連想させたんだった

それから、なんとなく新幹線からみる富士山を楽しく見れる気持ちになったりして、今日を迎えたんだけど、ね。

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今は今月でた Fragnent/Taiko Super Kicks を聴いてる

フラグメント、断片、なんかこういう言葉に最近囲まれている(半分囲まれすぎている)なあ、と感じてるんだけど、どうなんだろう。

私の大切な「カケラ」を、一昨年名付ける時に候補に出てきた言葉の中に、断片、フラグメント、は当たり前のように出てきていたし、

その後に読んだ、「断片的なものの社会学」岸政彦だってそうだった。

あれから約二年、最近は、電車の車内の吊り広告にまでその言葉があったりする。なんかこれは、正解とか運命とかじゃなくて、私からは見えない世界の上の人の掌で転がされているだけなんじゃないか?なんて不安に思い始めている。

だけど、なんとなく信じたい気持ちがあるから、自分なりに誠実に考えたいと思ってる。使っている言葉は同じだけど、意味はなんとなく違う気がするんだよな。

共感を覚えると、それと同じくらい不安も訪れる。その不安は、希望かもしれないなって最近少し思う。

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さて、今日は初めて(ではないかもだけど、気持ち的に)の出張。

もやもやした気持ちで乗る新幹線は、好き。昔、嫌いなプール教室に泣きながら車に乗せられた時みたいな、強制に近いみたいな。連れてかれるのわかってるから、泣ける。みたいな甘えた考え。

ああいうのって、どうせ行ったら楽しいのだ
それは既に知っている


駄文だけど、できれば毎日一つずつ書き溜めていこうと思います。出来るだけ丁寧な気持ちで。
twitterは思いつき、Tumblrは覚えがき、noteは積み重ね(?)
では