素敵っぽさが欲しいのかも
蚊、それは気づかないうちに痒みを与えてくる
痒い、と思った時にはもう遅くて、蚊はもうそこらじゅうにいる
ぷくっとした膨らみはまだなくても、先に痒みが来たりする
感覚で存在感出してくれるのすごいな
少しの間外で友達とアイスを食べていただけなのにな
いつのまにか蚊の事が気になり出してみんなの体は動き出す
蚊の痒み、あれはすごくじれったくて嫌い
だけど、夏を感じちゃう、みたいな情緒(刺されちゃうとそんな余裕ないけど)もあってすごいうらやましい
風物詩に対する憧れがあると最近思う
一時性っていうよりも、季節っていう変えようもない時のくくりがあって、それによって一時的に現れる何か
食べ物でも、生き物でも、人でも、感情でも、経験でも
なんでだろう。季節の流れ感じて、何がいいんだ
いつもどうせ、一年早いなあ、みたいな結論に至ってしまうのに
なんで風物詩って素敵っぽいんだろ
素敵っぽいって言葉を口にする時、薄い水色がかったグレーを思い出す
少し黄味がかってるかもしれない
大人になったな、と言われるのかもしれないけど、風物詩、、素敵っぽい
字面、漢字面がまず綺麗だな、と今感じてる
風物詩には、明朝体が合う
noteは私の場合、iPhoneでは明朝体で、パソコンで見るとゴシック体になっている
どっちでも正直いいけど、割と印象が違う
だからきっと風物詩も、パソコンで見ると、素敵っぽさは感じないのかもしれない
はらいが3つ続いて、たなびいているように見えるあたりとか、さらりと撫でられる心地がするし、
そういえば、学部生から院生の頭ぐらいまで、明朝体が苦手で仕方なかった
意味が強すぎて、どんな文章でも独特の情感を持ってしまう
だからひたすらにゴシック体だったけど、ゴシック体もなれると気に障る
友達が割と明朝体を使っていて、しかもそのこの文章はさらさらとしていて妙に憧れてしまった
そのうちに明朝体を使うようになったり、使い分けるようになった
なんとなく頭が良さそうな人の文章になるので、その感じを利用していた 笑
この文章はどうか、明朝体で読んでほしいな