富山港線

先日富山に行って、駅周辺の変貌にびっくりしたるいです。
昔から見たらめちゃくちゃ変わったんだけど、2年ぶりの訪問でも結構変わってるところがあったのは衝撃だった。

その中でも特に、富山の北と南を走る路面電車の会社が合併(富山地鉄に吸収?)され、お互いに行き来していたことが1番びっくりだった。
ニュースでは知ってたんだけどね。実際に見ると違和感が…

富山港線といえば、小さい頃白山で富山へ到着する間際のこと。
ふと窓の外を見ると、

「京浜東北線がいる!」

幼い自分にとって衝撃だった。
当時の京浜東北線は全身水色の車両。それと見た目一緒の電車がなぜ富山に?
ただ、「きっと見間違いだな、ここにいるわけがない」と思ったので、特に詳しく調べることもなく終わった。

そんな出来事があったことすら忘れたまま、10数年の時が過ぎた。

2000年過ぎた頃だったか。
富山港線が廃止されるという話題を知った。
富山港線は、何度か富山に来ていたが乗ったことはなく、本数が少なくてホームに列車がいるとこすらほとんど見ない、未知の路線だった。

ただ、廃止になるのが気になり、どんな路線だったんだろうと調べてみると…

水色の電車の写真を見つけた。

あれだーーーーー!!
小さい頃見かけた京浜東北線!!
あの時の電車は見間違いじゃなかったのか!!

ただし、京浜東北線と同じ形式ではなく、単に色が一緒だったというだけだったが。

これが、自分の記憶にある「JR富山港線」。

JR時代は一切乗ることがなく廃止になったが、その後ライトレール富山として路線が生まれ変わってからは、たびたび乗るようになった。
数時間に1本から、15分に1本という大増発。
これなら使いやすいし、低床車だから乗り降りもしやすい。
車社会でもお客さんが多かったのが印象的だった。

そして南北が相互乗り入れを始めるにあたり、ライトレール富山改め「富山地方鉄道富山港線」に生まれ変わった。

というか、名前が元に戻った。

使いにくくて利用者も少なく廃止に追い込まれた路線が、残った線路を再利用した結果、今や市内の中心的なインフラとして存在するようになるという…
同じ鉄道なのに、使い方次第でこんなに存在感が変わるんだ!と思い知った出来事でもあった。

街作りと企業の戦略、これ大事。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?