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【今は人の無き街】-再訪

街の名前が記されていたはずの看板はすでに掠れきっており、かろうじて黄緑色をした⚡マークがうっすらと残っている。

今日、私はとある街へやってきた。いや、『街があった場所』というべきだろうか。ここにもう人はいない。過疎か、はたまた何らかの事件か……。真の理由はもはやここにいる看板しか知りえないのかもしれない。私は彼の埃を軽く払って、街の中へと踏み入った。

私は以前この街に住んでいた。何をするでもなく、この街が様々な人の手で盛り上がり、発展していく様を見ているのが好きだった。それが……今や見る影もない。

大通りに沿って歩くだけでも、神社や大きな屋敷、学校だった建物などが目に入る。全盛期には沢山の人々が集まり、それぞれ魅力的な空間を作り出していたであろうこれらも、ただ寂しく立ち尽くすのみ。

彼らを視界の隅に置き去りにしながら、さらに奥へと進む。

この街は案外広い。土地も広いが、それ以上に幅広いのは擁していた人々の個性である。この辺り……裏通りまで来るとより顕著だ。居酒屋やバーに交じって、吸血鬼や悪魔でも棲んでいそうな城が見えたりする。本当に何でもありな街だ。

……さて、ここまで来ればそろそろ目的の場所だ。先ほどから私の視界を曇らせている霧が、より一層濃くなってきた。この霧が流れてくる方向へ、私は更に歩みを進める。

ここだ。

ここが、私がこの街で根城にしていた場所だ、人々の集まる輝かしい場所たちの隙間、この路地裏の道端で私はよく過ごしていた。

「ここは…………の、道端。通りすがりに雑談どーぞ…だったっけか」

思わず口をついてしまった。一気に過去の情景を思い出す。記憶というのは不思議なものだ。すっかり忘れたと思っていても、こうしてその場所に来て、当時の口癖をつぶやいて歩けば、鮮明に甦る。

懐かしさに浸りながら、霧の中を歩く。ここで誰とどんな言葉を交わしたか……思い出すだけで楽しくなる。

……ピタリ。と、私は歩みを止めた。

私は顔を上げ、目の前の空間を眺める。つま先から数十センチ先の地面はグラデーションを描くようにじわりとその姿を消しており、その先には……夜よりも暗い闇が広がっていた。

ここまで……私はここまでか。

解っていた。むしろ、これを確かめるために今日ここへ来たのだ。この広い広い街の……私から見たこの街の、終着点。

私はこの先を、知らない。

今まで見てきたのは、私の『知っている』この街の一部。だからこそ、今でもこうして帰って来ることができていた。でも、それはこの街の全てではない。

あの頃の自分がついぞ知ることができなかった場所に、行くことはできないから。

知らない。この先がいったいどんな場所で、誰がどのように過ごしていたのか。たとえ街を出た今になって仲良くなった相手の場所だとしても。……獣である『彼』や『彼女』がどこに棲んでいたのか。『彼女』の研究所は何処にあったのかも、私は知らなかった。

ゆっくりと踵を返し、霧を抜け、大通りから街の入り口まで戻ってきた。

うつむきがちに後ろを振り返る。この街にもう人はいない。だが、かつてこの街に住んでいた人々が忘れない限り、決して消えることはないだろう。

傾いた看板に見送られながら、私は帰路に就いた。

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