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自己紹介

はじめまして。Ryoと申します。
ご覧いただき本当にありがとうございます。
今回は、僕の自己紹介をさせていただきます。
普段文章を書くことに不慣れなため、まとまりが無い文章になってしまうかもしれませんが、どうか暖かい目で見ていただければ幸いです。


人物像と近況について

私は地方在住で、とある自治体の職員として生活しています。
年齢は30台とだけお伝えしておきます。
独身男性ですが、ありがたいことに将来結婚を考えている彼女がいます。

自治体職員として勤務して6年が経過しました。
少し特殊な担当業務なのですが、不動産関係の仕事を行っています。

近年は担当業務の業務量が増え、また担当外の業務も引き受けてやってしまうという状況に陥ってしまいました。

そして、1か月半ほど前となる2023年8月末に体調を崩してしまいました。
体調を崩す数か月前から、少しづつ不眠・めまい・腹痛などの症状が出ていましたが、とある日に今までに無い強い動悸におそわれ、その数日後に動けず朝に出勤出来ない状態となりました。

心療内科を受診し、いわゆる「適応障害」に加え「不安神経症」の診断結果となり、1ヵ月休職することとなりました。

9月中はまずは心身の休息に努め、中旬には外出も行い始めました。罪悪感もありましたが、その休息の中で少しづつ体調が戻るのを実感しました。

その後9月下旬に再度心療内科を受診し、回復傾向にあるものの復調とは言えないという診断結果になり、2ヵ月の休職延長となりました。

最近は、IT関連の勉強(プログラミングなど)を中心として自分のリスキリングに努めています。このnote投稿も、自分の心を整理するためとリスキリングのために行い始めました。

今感じていること

ただ忙しいだけで、目の前の仕事が好きで心から打ち込めるものであれば、もしかしたら違った現在があったかもしれません。

正直、今の担当業務には慣れこそあるものの、誇りと好意を持つことはできませんでした。

自分の能力不足によるミスによる問題発生もあったので、その点は申し訳なく、反省しています。

ですが今まで自治体が放置してきた(寝かせてきた)諸問題が、現担当の自分に襲い掛かってきている部分が多々ありますし、解決しなければならない問題ばかりなのに、皆どこか他人事で「誰かがやればいい」という雰囲気がありました。

忙しい日々を送り目の前の処理に追われているうち、残念なことにいつの間にか自分も「誰かがやればいい」と思うようになってきていました。そのことにふいに気づき、とても悲しい気持ちになりました。

しかし、気づいたときには自分一人で多くの案件を抱えてしまい、上司に相談しても「まずあなたがやりなさい」という旨の回答しか得られず、他部署から責められることもありました。それが余計に自分の首を絞め、悪循環となりました。

僕のやっていることは主に不動産関係の業務なのですが、ニッチな分、知識を持つ職員が少ないです。だからこそ知識のある職員に業務が偏る状況もあったのだと思います。

今は、自治体職員としての”過ごし方”を間違えてきてしまったと強く感じています。

僕のキャリア①

自治体職員として採用をいただいてから、今の部署が2ヶ所目になります。

僕は中途採用で前職があり、前職では注文住宅の営業を行っていました。
この話はまた別途まとめたいのですが、前職でお世話になった会社はかなりのブラック企業でした。

身体的暴力は1度しか受けませんでしたが、言葉による暴力はほぼ毎日受けていたと思います。…地獄の日々でした。

入社してから3ヵ月目で辞めたいと当時の店長に伝えましたが、その店長がまた面倒見の良い方で(パワハラ上司は別の人です)その方に励まされて続けましたが、今思うと速攻で辞めるべきでした。

当時はまだ「新卒は3年勤めろ」という風潮が残っていましたが、その風潮が瓦解しかけている段階だったように思います。

…前置きが長くなりましたが、そんなこんなで前職は2年5ヵ月で退職し、退職した次の月に偶然今お世話になっている自治体の採用試験があり、運良く採用をいただくことになりました。

そのため、今の職場への感謝は、とてもあります。
パワハラで身も心もぼろぼろになり、生活苦による借金まであった自分を受け入れてくれた。認めてくれた。(借金については関係ないですが)

転職を決めた当時の僕は、解放されたというか、これでやっと人並みの生活ができるという嬉しさに満ち溢れていたと思います。

また、新天地で全力で頑張ろう!という気合いもありました。

僕のキャリア②

本当は自治体のソフト面、いわゆる企画的な業務がしたく、採用面接でもその話をしていたのですが、おそらく経歴を買われて建設関連の部署の所属となりました。

4年ぐらい所属していましたが、部署内の人は優しく、とても話しやすい方ばかりでした。民間経験がある人も多かったので、前職の愚痴などもお互いにしていて「仲間」という感覚がありました。途中で後輩もできましたが素直で優秀な子ばかりで、辛いタイミングもあったのですが一過性のもので、おおよそ幸せに勤務できていたと思います。

4年目になると慣れもあり、資格試験に挑戦することとなります。
宅地建物取引士、いわゆる「宅建」です。
学生時代から興味があり、前職時も受験していました。
ですが自分の怠惰もあり本腰を入れて勉強したことがなく連続で不合格でした。
そして、余裕が出たタイミングで再受験を決意します。

なぜ「宅建」かというと、やはり自分の担当業務に関連があるということと、現在の仕事で良い評価をいただいたりしたため、昔の弱くパワハラに屈していた自分に打ち勝ちたいという欲求が沸いて出てきたからです。その欲求を発散というか、自己実現する手段として「宅建」を選びました。

試験の数ヶ月前からしっかり勉強したため、無事に合格を決めました。…大きな自信になりました。

そして。
これが失敗だったなと思うのですが、合格を職場にも報告しました。
凄いな、頑張っただろと上司には褒めていただきました。
ですが、この報告が翌年の人事異動、しいては今の現状にもつながる結果となってしまいます。

その年度の後半、とある日、僕の行きたい部署の部長に呼び出しをいただきました。

「申し訳ないけど今から来れるか?」
「すぐ行きます!」

このようなやり取りののち、1対1で急遽面談を行うこととなりました。
面談内容は明らかに人事異動のための事前調査でした。
内心舞い上がるような気持ちだったのですが、そこは冷静に抑えて部長に対して聞かれたことをお答えしていました。

その数ヶ月後に新年度当初からの組織体制発表があり、僕はショックを受けることとなり、新しい日々が始まっていくのですが…。

…そして、今につながります。
正直、希望部署に進むためにもっと効果的な立ち回りがあったと後悔しています。

自分の努力が、自分の首を絞める。
そのことを身を持って痛感しております。

これからのこと

12月に復職予定なのですが、その後3月で退職するつもりです。
退職後は、彼女の元に身を寄せて新しい生活に挑戦していきます。

自治体職員として望む仕事が出来なかったのは残念ですが、やはり我儘だけ言っていられないですし、その時々で自分なりに誠実に仕事に打ち込んでこれたとは思っています。

ですので、残りの期日でお世話になった職場に恩返しではないですが適切に業務を行い、しっかりと旅立ちたいと思います。

退職後は、自営業に挑戦します。
不安もありますが、これは兼ねてからの夢でもあります。
やりたいことはいっぱいあるのですが、それはまた別の機会に語らせていただきます。

ひとまず今思うのは、自分の夢に対してだいぶ遠回りや失敗の多い人生でしたが、こんな遠回りや失敗だらけの自分だからこそ、届けられる想いや言葉があるのではないかということです。

上記は仮説にすぎませんが、これを実証するために自分の人生に責任を持って日々、”今この時”を生きていく覚悟です。

最後に

長文大変失礼しました。
ご覧になられた方は、ぜひ感想や意見などいただけると嬉しいです。
Xの方でも構いません。
どうか、今後ともよろしくお願いいたします。

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