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はじめに


2016年1月10日
デヴィッド・ボウイが亡くなった。  
2日前の彼の69回目の誕生日に新しいアルバム『★』が世界で発売されたばかりだった。


15年前の夏、15歳だった私はボウイの存在を知った日から彼の表現する全てに憧れた。
音楽にも容姿にもライブパフォーマンスにも俳優としての演技にも全てに惹かれ続けた。

大学に入学し、授業で“好きな表現者についてプレゼンする”という課題が出された時も迷わずボウイのことをプレゼンしたし、大学院に入ったときから論文はボウイについて書こうと決めていた。

 いつか会えると思っていた。
根拠はないが、いつか会えると信じていた。
 

 2016年1月10日
私はNODA・MAP第20回公演『逆鱗』という舞台の稽古中だった。
 休憩時間に稽古場の外のベンチで休んでいたら、
隣に座っていた仲間が携帯を見ながら「あっ!」と声を上げた。どうしたのか訪ねると「今日の 稽古が終わったら言う。」と答えた。
不思議に思いながら稽古場に戻ると
他の役者 の一人が大きな声でこう言った。

「デヴィッド・ボウイが死んだ!」

皆が私を見た。
今日が何の日だったかを考えた。
エイプリルフールのような日が1月にもあったのか考えた。あとのことは良く覚えていない。
ただ、稽古のあとに先程と同じベンチに1人で座っていたら演出家の野田秀樹氏がやって来て会話をしたことを覚えている。
「いつか会えると思っていた。」と私が言うと野田さんは「いつか会えるよ。」と笑ってその場から立ち去った。


この言葉が忘れられない。

 ボウイはどこにいるのだろう。
 
論文はボウイについて書こうと決めていたが、
ボウイの何について書いたら良いのだろう。
私にとっては彼の存在そのものが表現の全てなのだ。
 そもそも2016年1月10日までは私はどんな手を使ってもボウイ本人に会いに行こうと思っていた。
会って論文を書こうと思っていたのだ。
 
だから

私はデヴィッド・ボウイに会いに行く。
 彼の生まれた街ロンドンへ

彼を探す旅に出る。

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