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ボウイが生まれた街、ブリクストン

2016年10月2日


晴れた。ロンドンは東京に比べてだいぶ寒い。
マフラーを持って来ておいて良かった。
新鮮な気持ちで彼の出生地へ赴くために、前日からボウイの曲を聞くことを
やめている。滞在先からブリクストンは電車で30分くらいらしい。
最寄り駅までにホットコーヒーでも買って行こう。

コーヒーは無事に買えたのだが、せっかくなので寄り道をしてから向かうことにする。パンクロックの街として有名なカムデンタウンに立ち寄る。噂には聞いていたが、日曜日だということもあり凄い人ごみだ。
タトゥーのお店のキャッチのお兄さんがシド・ヴィシャスみたいだ。
沢山のロックTシャツ屋が並ぶ。
もちろんボウイのTシャツも売っているが、この手のものには全く心が動かない。むしろ少し嫌悪感を抱く。ロンドンはボウイだけでなく、ビートルズ、ローリングストーンズ、クイーン、マーク・ボラン、セックスピストルズ、などなど様々なロックアーティストが過ごした街として有名なので、そのような音楽ファンが世界各地から集まっているのだ。そのような音楽ファンの観光客を狙った商品で彼らをむやみやたらに商品化することは、私は音楽に対する冒涜のような気がする。大げさかもしれないが、あまり良い気がしない。だから少しイライラしながら電車に乗る。


カムデンタウンからブリクストンへ近づくにつれて電車の中に変化があった。それは客層である。
ブリクストンへ近づくほど人種が多様になってきたのだ。肌の色が多様で、カムデンタウンでは明らかに観光客だったアジア人の私がブリクストンで
は浮いていなかった。浮いていないというより、この街に観光客などが来るはずないといったような雰囲気だ。
Tシャツにジーンズを履いているボウイの姿は想像できない。いつも彼は品のある襟付きのシャツを着てスラッとしたスーツパンツを履いているイメージがある。そんな英国紳士はこのブリクストンでは全く見かけないが、英国紳士的キャラクター作りはブリクストンの多様な人種が溢れる環境で生ま
れ、幼少期を過ごしたボウイにとって大切な自己主張だったように思える。


ブリクストンに到着すると目の前にデパートが現れる。そのデパートの横道の壁にはボウイの大きな壁画がある。これは2013年に書かれたものだが、ボウイが亡くなった時には世界中のファンが追悼のためこの場所を訪れた。ボウイは「モニュメントになりたくない。自分が残した音楽の中に自分を感じてほしい。」という意思でお墓を作らなかったそうだ。だからファンはこの壁画に献花をするのだ。彼の意思とは関係なくファンは勝手にモニュメントを作る。私は壁画に書かれた読み切れないほど沢山の追悼のメッセージを見ながら、残された者のエゴを感じていた。
ボウイの魂はとうの昔に、彼が6歳の頃にこの地を去った時から、ここにはないのだと感じてしまう。この場所には彼はいなかったが、彼を思いこの場所を訪れた人々とやっと会えた気がする。

ブリクストンにあるボウイの壁画

ボウイの壁


壁画を後にし、ボウイが幼少期を過ごした家の跡地を訪れる。
とても過ごしやすそうな閑静な住宅街だ。
すぐ近くには子供が遊べる可愛らしい公園があり、今も子供の楽しそうな声が聞こえる。ボウイ改め、幼いデイヴィッド・ジョーンズはこの道で転んだりしたのだろうか、この公園のこのベンチに座ったのだろうか、この街灯に寄り掛かったりしたのだろうかとか、この木を眺めていたのだろうか、などと考えながら街を歩き景色を眺め、ここにあるものに触れてみると、彼が生きていたことを実感する。
この土地に立っていたんだな。ここから空を、今の私と同じように見上げていたのか。悲しくなってきた。急に寂しくなってきた。私は一人だ。

 ボウイが生まれた家の前

ボウイが生まれた家の前


ボウイはこの世にもういないのだ。
生きていたことを実感するということは
同時に、死んでしまったことを実感するということなのだなぁ。



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