20240707 日記のようなもの

予報に示されていた通り、本日もとても暑く、すこし窓を開けて外気に手を差し入れてみただけで、日中の野外活動は非常に困難であるということが瞬間的に分かったので、ほんとうは上野の森美術館でやっている石川九楊展に行きたかったのだけど、美術館の屋根の下にたどり着く前に道端で倒れてしまうだろうと思われたので、それはやめて、カーテンを半分閉じた部屋のなかで、日曜日もよく働く冷房の下、信長の野望をプレイしていた。

戦略シミュレーションゲームの中でも、コーエーの三国志はプレイしたことがあるのだが、信長の野望の方はプレイしたことがなく、おそらく似たようなゲームシステムだろうけれども、異なるシリーズとして長く継続しているのだから、何かしら決定的に違うのだろうと思い、先日Switchで購入した。プレイしてみると、たしかにゲームシステムは違うのだが、基本的にやることは同じで、領有した地域の農業や商業を発展させ、それで得た兵糧や金銭をもとに兵士を増やし、遠征をして敵の城を攻め落とし、新たに領有した地域の農業や商業を発展させ、増やした兵士でまた城を攻め落とす。強大な敵勢力と一時的に同盟を組んだり、優れた能力を持つ武将を引き抜いたり、防衛のための施設を建築したり、いろいろと考える要素もあるのだが(このあたりの要素がシリーズやナンバリングによって大きく異なるのだろう)、とはいえ基本的には兵糧収入と金銭収入の大きい勢力が勝ちやすく、この点も結局は三国志と同じである。信長の野望は他人に勧めるほど面白いゲームだとは思わないが、私が戦略シミュレーションゲームを好きなのもあって、時間を忘れて没頭するくらいには楽しんでおり、この猛暑のなかでの楽しみの一つになっている。

ぼちぼちと、ではあるのだが、この頃も詩の歴史を調べていて、その中で思うことがあり、これまでに書かれた詩の歴史の多くが、代表的な詩人や詩集にフォーカスするものだったけれども、それではこぼれてしまうものがあるだろうということ、例えば、その当時の詩人たちは詩集を出す前にどういった場で作品を発表していたのかとか、その当時の詩人どうしにどんな繋がりがあったのかとか、そういったことにもっと目を向けても良いのではないか、ということを思っていて、だから「象徴主義」とか「浪漫主義」とかそういう文芸思潮を重視するんではなくて、投書雑誌『文庫』からどういう詩人がキャリアをスタートしたかとか、雑誌『明星』がどこでどれくらい売れていたのかとか、新聞の文芸欄ではどういった詩人が取り上げられていたのかとか、詩誌の創刊と廃刊のはざまで行き場のない詩人が歌誌を間借りしていたこととか、もっとそういうことに目を向けても良いのではないか、と思っている。それで例えば、昔の詩誌のことや詩人の回想録を読んだりしているのだが、一つ一つ丁寧に調べる必要があるので、これはかなり時間のかかる調べ物だということが分かってきて、どこかうんざりしつつも、時間をかけてじっくりやってみようかなとも思っている。

伊達政宗で東北地方を統一した頃、陽が傾いてきて、短時間なら屋外でも活動できるだろうという気温になっていたので、封筒を鞄に入れて投票所へ向かった。本来は近くの小学校が投票所になるのだが、いまは改装工事中であるため、小学校の隣の幼稚園が投票所として指定されている。この地域の道が込み入っているせいもあって、少し分かりにくい場所にあるのだが、人の多い方へ向かって歩いて行くと着く。投票所の前にある横長の大きな掲示板に、かなり空白が目立つのは、とある政党のポスターがまるまる貼られていないためで、おそらくはこのような辺境の投票所の掲示板は枠として人気がなく売れ残ってしまったのだろう。ニュースでしばしば取り上げられるのは、東京の中でも東京の話で、ここは東京の中でも東京ではないので、ニュースの話はニュースの話である。

駐輪場の場所を案内している係の人の横を過ぎて、門からつづくなだらかなスロープを歩いて幼稚園に入る。幼稚園は新しく建てられたのか、白くてぴかぴかしていて、全体的に丸みを帯びたデザインをしていた。良いものを作ったなと思ったし、良い税金の使い方をしたなと思った。床に貼られたブルーシートに沿って歩いて、係の人に紙を渡し、係の人から紙をもらい、もらった紙に字を書き、書いた紙を箱に入れる(そしてその様子を係の人が見ている)。もうマスクをしている人はいない。扉のところに係の人が投票率を集計するための紙が貼られていて、簡易的な表のなかに時間と人数が鉛筆で記入されている。表の下に人数は百人単位で記入するようにとの注意書きがある。じっとりとした外気にうんざりしながらなだらかなスロープを門まで下る。