パクりパクられ論争

オカルト界隈にいるとときたま起こるパクりパクられ論争。YouTubeが活発になって増えてきましたが、今回は「少ない労力で金になればなんでもいいぜ!」といった考え無しでパクる人は置いておいて、パクることを悪いと思ってない人について考える。

私は今はオカルト全般を薄く広く触っているけど、元々は事件事故界隈の人間である。事件事故界隈において、この人は凄い!となるのは時間と労力をかけて一次ソースを探し出し、自分なりの考察ができる人だ。自身でも気になった事件について調べたりすると分かるが、新聞記事や警察発表など信頼に足る情報ソースを見つけ出すことは困難だ。ネットニュースはある程度経てば記事が消されてしまうことも多々あるし、新聞記事は図書館などで探すしかない。地方紙ともなれば、地元の図書館に足を運ばなければならないこともままある。だからこそ、そういったことを足を使って調べている人達は人気がある。

一方で、怪談界隈はそのあたりが違う。実話怪談ブームで「都内に住むOLの○○さんから聞かせてもらった話なんですが」といった入りの怪談が増えたが、その情報ソースは個人の体験でしかない。もっといえば、その体験がその人の創作でないという保証もない。そんな曖昧な情報を、怪談師の手腕によって聞き手が楽しめるものに再構築していくのが怪談界隈。わかりやすいところで言えば、村上ロックさんの「村上ロックの語りで聞く2ちゃんねるの怖い話」が怪談師の仕事を分かりやすく可視化してくれているものだと思う。霊感があったとしても人に話すに足るようなエピソードはそうないと思われるので、多くの人は人から集めた「事実かは分からない話」を再構築している。

怪談界隈の人達が事件事故界隈の人が書いた記事を丸パクリで動画化する問題は、ここの情報ソースに対する意識の違いが大きいように思う。一次ソースを探すこと、それを自分なりに整理してまとめて考察する大変さを分かっていない人達がいる。自分でやったことがないと、調べることの大変さが分からないのだと思う。また「人から聞いた話を大筋を変えずに再構築する」ことが良しとされている人からすると、事件事故について紹介しようと思ったときに魅力的だと思った記事をそのまま紹介することが正しいと思ってしまうのかもしれない。語り手の身バレを防ぐために仮名にするのと同様に、情報源を隠したままで。

事件事故界隈の人は多くの場合、その出来事を多くの人に正しく知ってほしいと思っている。きっときちんと許可取りをすれば動画化することを否という人は少ない。記事を書いた人へのリスペクトをもって活動してほしいと思う。

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