寝物語は番町皿屋敷

寝物語は言い過ぎた。

私はオカルトが好きだ。怖い話も、UMAもUFOも、事件の話も好き。気付いた時には好きだった。何か鮮烈な出会いがあった訳ではない。何故か、と考えた時に思い当たったのは家族の好みだ。幼稚園の頃、よく祖母が番町皿屋敷を語り聞かせてくれた。私は白く美しい城と鮮やかな焼物、割れてしまった皿、陰鬱な井戸を思い浮かべながらその話を聞くのが好きだった。

幼少期は家族旅行でよく東北方面に行ったのだが、東北には人魚のミイラやら河童のミイラやらを祀った寺が多くあった。我が家は家族向けの観光地には目もくれず、そういった寺社を訪れることが多かった。もちろん、オカルト番組も放送日には家族揃って観ていた。(余談だが、我が家にはテレビは1台しかなかった。テレビを観る時間は一家団欒とするという方針の元。どうやら余所の家には複数台テレビがあるらしいぞ、と知った時には随分驚いた。)いまは殆ど無くなってしまった怪しげなオカルト番組が私が幼い頃にはしきりに放送されていたのである。人魚や河童のミイラ。UMAの目撃映像。徳川埋蔵金や陰謀論。心霊写真や再現映像。心霊番組は今でも年に数度は見掛けるけれど、怪しげなミイラの話などはすっかり見なくなってしまった。直ぐに作り物だと騒ぐ世間のせいだろうか。寛容さを取り戻せよ、日本人。まあそういった所謂眉唾もののオカルトを楽しむ家族であった。

事件に興味を持ったきっかけは多分もう少し成長して小学生になってから。活字中毒だった私は家にある本を片っ端から読んでいた。食事中でも本を手放さずによく怒られたものである。入浴中は入浴剤のラベルの文字をひたすら読んでいた。活字中毒とはそういうものなのである……知識欲でも物語性でもなく、とにかく文字に飢えていた。そんな私がある日手に取ったのが「FBI心理捜査官」である。このジャンルに興味を持つ人なら殆どの人が読んでいるのでは?と思うほど有名なロバートKレスラーの名著である。私はそこに書かれている世界に没頭した。人を殺す人間の心理を面白いと思った。その頃の私はそこそこ幸福に暮らしていたため道を踏み外すことはなく、どちらかというとそういった人間を裁く検察官になりたいと思ったものである。今の私からしたら笑ってしまう正義感。しかしきっかけなんてそんなものである。テレビでもよく公開捜査番組もやっていたしね。あと母が羊たちの沈黙が好きだった。Xファイルも好きだったように思う。私の知る母は暗い映画を好む人だったが、父から聞く母は恋愛映画を好んでいたようで驚いた。結婚している間は猫を被っていたのか、母よ。大人になった私は、私が知る母と同じような映画ばかりみるようになりました。ちゃんちゃん。

私がオカルトに傾倒するのは、「なるべくしてなった」としか言えない家庭環境のせいである。この環境で育ってオカルトに興味を持たない人間がいるのなら会ってみたい。絶対に仲良くなれないけれど。

また沢山の胡散臭いオカルト番組を楽しめる世界になりますように。あと徳川埋蔵金がほしい。欲望は尽きない。

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