可愛い可愛いプリンセス

私の周りには家庭に問題のある友人が多い。毒親然り、片親然り。私も御多分に洩れず、片親育ち。誕生日とクリスマスの電話や手紙のやり取りはあったものの、物心ついてから初めて父親と会ったのは母の葬儀の場である。13歳の冬だった。

片親育ちであるものの、家庭環境には恵まれた方である。母方の祖父母、曾祖母、母、私の5人暮らし。初孫で一人っ子の私は、存分に愛情をかけて育てられた。恥ずかしい言い方をすると、まさに喋よ花よといった感じである。母子家庭ではあるものの金銭的な不自由をしたことも無く、習い事をさせてもらったり、可愛いお洋服を着せてもらっていた。祖母の世代では珍しいことでは無いが、和裁・洋裁が出来た祖母が手作りしてくれた赤地に白いコスモス柄のワンピースを今でも覚えている。

そんな私の生活は、小五の頃に母が余命宣告を受けた後からガラガラと崩れていく。家から灯りが消えた。

私の人格が揺るがされるのはそれからさらに経って大学生になってから。少しボケてきた祖母が私のことを母の名で呼ぶようになってから。相変わらず優しい暖かい言葉をかけてくれるが、呼ぶのは母の名なのである。私の名前が呼ばれることはない。話にも上がらない。きっと祖母の中で私は「大学生の頃の母」になっていたんだろう。そんな祖母を優しく受け入れるには私は幼く、その場では笑顔で取り繕うものの一人になると「私が殺されてしまった」と泣いた。私の存在意義が分からなくなった。私は所詮母のオルタナティブなのだ、と。

祖母も亡くなり、私の存在は未だにぼんやりとしている。友人にも恵まれているし、きちんと仕事もしている。私は存在している。しかし、私の中には母のオルタナティブとしての私と殺されてしまった私がずっと生きているのだ。その存在が無性に私を蝕むことがある。

私を蝕む二人の私を昇華できる日は来るのだろうか。いつかオルタナティブではなく私を家族としてくれる人が現れることを願って。

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