エリートとはなにか~エスタブリッシュメントの崩壊はエリートの崩壊である~

最近のニュースを見るに、日本の中でエリート中のエリートと言われるキャリアの人たちが立て続けに報道されるのを見て、エリートとは何かを考えていた。

エリートという意味を調べると、「社会の中で優秀とされ指導的な役割を持つ人間や集団のこと」を意味する。

一般的に日本だとながらくキャリア官僚のこと意味するが、例えば起業家やオピニオンリーダーといった人たちはエリートの定義に入るのだろうか。

その問いに関しては、おそらく起業家やオピニオンリーダーはエリートに入らない。

エリートというのは、エスタブリッシュメント(「社会的に確立した体制・制度」やそれを代表する「支配階級」)に選ばれたものであり、既存の権威や支配階級に選ばれたものであるのだと思う。

そういった意味で言うと、既存の価値基準を変えていく者達は、エスタブリッシュメントから選ばれるわけもなく、エリートではない。

エスタブリッシュメントは時代によって変わる。

例えば江戸時代は血統でエリートが決まる。封建制度というエスタブリッシュメントを守るために都合のよい人というのが、血統であり、血統によってエリートが決まる社会である。

キャリア官僚がエリートになったのは第二次世界大戦以後だろう。戦後は、より天皇が象徴になり、身分制度が崩壊し民主主義国家に移行した。エスタブリッシュメントが国体(天皇を中心とした秩序)から民主主義国家へと移行したということでもある。そして工業化を推し進めるべく実質的な舵取りの役割を担ったのはキャリア官僚達であり、東大→官僚というエリートコースが出来上がり、学歴社会というのが強化されたと。

結局エリートというのは時代時代のエスタブリッシュメントによって異なる。そしてあくまでエリートはエスタブリッシュメントに選ばれるものであり、使われるものである。

いくら頭がよくても、既存の体制を変えようとするものはエリートではない。既存の枠組みを変えていこうする、起業家やオピニオンリーダーはエリートではない。

ただある意味シリコンバレーのコミュニティとかは、エコシステムというか、エスタブリッシュメントが出来上がっていて、スタンフォードからベンチャーキャピタルに投資されての起業というのが多い。そういった枠組みが出来上がって、シリコンバレーのコミュニティから選ばれてという意味で言うと、グーグルの創業者はエリートかもしれない。

時代によって変わってきたエスタブリッシュメント。

それが今、エスタブリッシュメント自体が崩壊しつつあるのではと思う。

それはネット社会になってきたことによて、権威というものが通用しなくなってきたといことだ。人間が信じてきた権力とか権威というものが通じなくなってきている。

権力がエスタブリッシュメントから民衆に移動してきた。

正の面で言うと今まで虐げられていた人の解放に向かうかもしれない。負の面で言うと、否定できない正しさにのっかり、安全な場から人を叩き快楽を得ることも出てきている気がする。いわば現代版魔女狩りや人民裁判的なものも今後しばらく続くだろう。有名になったり権力をもったりすることはリスクになるだろう。

エスタブリッシュメントの崩壊、エリートの崩壊。

そういった時代には、自分の哲学・羅針盤を持つことがより大事になってくるのかもしれない。

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