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ひとの心に敏感であること

「言われた方の気持ちにもなりなさい」

思いやりを持つことやひとに優しくすることの大切さについてはあらゆる場面で目にし、耳にする。
それは小さいころから当たり前のように教えられてきた。思いやりのあるひとや優しいひとに会うと安心するし仲良くなりたいと思う。
当然優しさに対する感覚を誰もが同じように持っているならいじめや事件などきっと起こらないと思う。

ただ、理想と現実のギャップは大きく、それが無くなることは絶対にないのだろう。
何故なら、人それぞれ育った環境や見てきた世界、何を是とし何を大切にしているか異なるわけで、だから当然「ひとの気持ちになること」はできないわけで。

ひとの気持ちになると言ってもできることと言えばあくまでも自分のものさしで計り、自分の知っている目盛に嵌めることだけ。
たくさんのものさしの中から、このものさしを持っていそうだなって推し量るだけ。
ひとのものさしが覗けたらどれだけ人付き合いが上手くいくだろうってこれまで何度考えただろう。

「ひとにどう見られるか」というのは承認欲求を満たすためには非常に重要なファクターで、強く意識しているひとは、相手に合わせられ、相手を傷つけないように発言、行動ができる反面、嫌われることを極端に嫌がり、誤りを指摘されることから逃げる。
本当の自分をさらけ出すことに対しての恐怖心が強く、取り繕った自分しか見せることが出来ない。
社会がそうさせているのかもしれないけれど、周りの目を気にすることへのストレスは多くの人が抱えており、自分の意識を変えること以外このストレスが消えることは恐らく無いのだろうが、これこそ日本人の特徴とも言えるのだろうか。

まさに自分がそうであり、周りの目なんて気にしない気にしないと何度言い聞かせてもどうしても気になってしまう。
ある意味、ひとの気持ちになることはすごい得意かもしれないが、自分を強く持っていて周りに流されないような人は恐らく自分の対局にいるような人だから本当に尊敬する。

ただ、本当に周りの目を気にしているのだろうかと考えた時にどうもしっくりこない。
誰にどう思われたいのか...
恐らく、自分を客観視して、もう1人の自分に見られて恥ずかしくないようにしようと心がけていて、まさにそれこそが自分の芯であり物事の判断軸なのかもしれない。

服は色よりも雰囲気を大事にしたいからシルエット重視で選ぶ。体型は常に維持したいと思うから適度に運動をする。知識や情報をたくさん持っている人はかっこいいからそのために本を読む。いろんな感性も取り入れたいし、できない事には極力挑戦したい。One of themにはなりたくない。

周りの目を気にすることへのストレスを感じていないのは、気にしているのが周りではなくてもう1人の自分だからかもしれない。


天祢涼さんの『希望が死んだ夜に』を読んだ。

子供の貧困を取り上げた社会派ミステリー。
中学2年の少女の殺害容疑で逮捕されたのは、同じ学校に通う同級生の少女。
しかし彼女は、その犯行動機について一切語らない。事件の裏に隠された彼女の悲惨な家庭環境が明かされていく中、貧困という社会の闇に放り込まれてしまった少女たちの心の内があからさまに描き出されていくストーリー。

少女達の視点とそれを追う刑事達の両視点から描かれたこの物語は実にシリアスだった。
貧しさから抜け出せない家族、貧しさへ転落した家族、貧しさから脱出した家族、それぞれの家庭の様子を鮮明に映し出すとともに、まさに現代社会を表しており、同じような問題を抱える子供達はたくさんいると想像させるリアルな世界。

ラストの二転三転する結末は多少強引さもあったがとても面白かった。
ただ、そのほかにこの小説で共感できたのが〝想像〟をする女性刑事の捜査方法。
この状況に立たされた時に、この子は何を考えたのだろうか。自分だったらどう思うか、どう行動するか。相手の立場に立って、相手に想いを馳せて考える。
送検までの限られた時間の中で、一つ一つ丁寧に想いを紡いでいく刑事のやり方に心を打たれた。


ひとの心を読むことはきっとできないし、読めていると感じてもあくまで自己満足だと思う。もちろん決めつけることは良くないし、人がどうこうではなく、自分の意思で行動することは時として大切だと思う。
ただ、この発言はどう受け取られるだろうか、悪い思いはしないか、本当はこう言いたいけど、少し言い方を変えてみようか。

少しでもひとの心に敏感になることで、トゲのない柔らかい空間ができて薄黄色の柔らかな世界ができるんじゃないかな。

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