とりあえず今は生きていたい

幼少期から現在に至るまで、ライフステージが進むごとに所属するコミュニティが多様になっているのは言うまでもないことだ。
私の場合は、地元、部活、高校、前の大学、予備校、今の大学、バイト先、趣味仲間、家族親戚など。それぞれの活発具合も異なるから、常に同じ程度の帰属意識をもっているわけではないけど、それぞれで刺激をもらい、"私"ができていっているなと思う。いろんな人から少しずつ分けてもらって私がある。考え方、ことば、信念、カルチャー。完全に自分から自然発生したものなんてないんだろうな。いろんなひとに手を入れられて、私という糠床で発酵しているだけにすぎない。でも裏を返せばその発酵の過程、最終的に産み出されるものは、私にしかないものなんだ。面白いなあ。生きることはつらいけど、みんなで乗り越えたい。一種の協力プレイのようなものにすら感じる。

先日実家に帰ったとき、「自殺の思想史」というタイトルの本を持って帰り、母親の目に入るところに出していてしまった気がする(その後の接し方がいつも以上に優しく感じたからだ)。私が金銭の心配ばかりしていたり(これは解消されそうでよかった)、思わぬ身体の変化(命には関わらないからまだよかったのかもしれない)に向き合わざるを得ない最中であることもあり、多分相当に心配をかけている。でも今の私は生きてやる!という気満々だし、もともとそういうことに興味があるのがデフォだし、あるひとからそういう話を聞いて、私は引きずられるどころかむしろ反対で、こっち側に留まる側にいるんだ、と思ったんだった。
祖母がこの世を去ってしまったり、身体の変化が分かったあたりは心が不安定で、でも、素敵なひとに会ってやっぱり前向きになったりして、の過程があったりしたけれど、とりあえず今は生きていたい。生きていればこないだみたいにみんなに会えるし。心配してくれてるの分かってるよ、でも私は元気だよありがとう、をちゃんと、伝えていきたい。これから先もずっと。