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僕がラグビー登山家になるまで

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2017年3月9日にラグビー登山家が生まれるまでに焦点を当て、過去を丁寧に振り返ったエッセ集です。
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#部活

僕がラグビー登山家になるまで 18歳 | 愛知県大会決勝で負けてしまった時の話。

高3のゴールデンウィーク時、当時の全国大会3連覇中で高校最強と名高い啓光学園との練習試合を行った。相手には高校ラグビー界で有名な選手もおり、終始、僕は相手の威圧感に呑まれていた。 高校日本代表である相手のLOの強烈な当たりに僕はヒキガエルのように青天され、右肩が火傷するのではないかとの思えるほどの熱を感じた。試合は半べそをかきながら、そのまま出場し続けていたが、結果は確かボロボロだったと覚えている。試合後、全く力が入らない右腕を医者に診てもらったのだが、首から右肩にかけての

僕がラグビー登山家になるまで 16歳 | 地獄の菅平合宿の話。

高校2年生になると、後輩もでき、1学年上の先輩として、カッコ良いところを見せたいとの思いでいたが、現実は全くの逆であった。 僕は「潜って」いた。この「潜る」という言葉は母校のラグビー部特有の造語で、何をやっても上手くいかず、監督から叱咤を受け続ける状況を指す。 母校の監督というのは愛知県下でも指折りの厳しい指導で有名な方であった。一般的なラグビー部の監督でも恐いのに、他の学校のラグビー部の監督の方からも一目置かれるほどの存在であったと聞く。 後輩の前でも怒られ、試合時は

僕がラグビー登山家になるまで 15歳 | ラグビーとの出会いの話。

僕は小中までサッカーをしており、そのままサッカーをやる予定で僕は高校には入学していた。 しかし、どこの学校にでもあるようなラグビー部の猛烈な勧誘によって気づいたら僕はラグビー部の入部説明会に足を運んでいた。 当時の明和高校のラグビー部の顧問、横地先生が愛知県代表の監督も兼ねており、その先生が発する熱に僕は一瞬のうちに心が沸騰し、魅了されてしまっていた。 「今まで明和ラグビー部は花園に出場したことがない!?」 「新しい歴史を作るのは一年生たちの手にかかっている!?」 し