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第51回 倍音関係をあらわす記譜法に触れてみよう

📚[⌁音響物理学]倍音
📚[🌌現代音楽]ヘルムホルツエリスノーテーション、微分音

 第43回にこんな臨時記号が出てきたよね。

譜例_51_01

 これは基調に対する倍音関係を五線譜上であらわすもので、「ヘルムホルツエリスノーテーション」と呼ばれる記譜法なんだ。
 この、ちょっと特殊な記譜法を、今回は紹介していくよ。

 この記譜法を考案したのはドイツに住む2人の作曲家、マーク・サバトさんとヴォルフガング・フォン・シュヴァイニッツさん。2000年から2004年頃にかけて記譜法をまとめていったんだ。
 今回紹介する記譜法は、正確には「拡張ヘルムホルツエリスJIノーテーション(かくちょうヘルムホルツエリスジェイアイノーテーション)」と言う。「JI」は「純正律」、「ノーテーション」は「記譜法」のことだから、「拡張ヘルムホルツエリス純正律記譜法」ということだね。

 ヘルムホルツとエリスはそれぞれ19世紀の人の名前で、ドイツの物理学者のヘルマン・フォン・ヘルムホルツさんと、イギリスの数学者のアレクサンダー・ジョン・エリスさんのこと。エリスさんって言うと女の人みたいだけど、これは「エリス」という苗字で、名前は「アレクサンダー」。男の人だよ。
 ヘルムホルツさんは音名や音律の研究をしていて、それを表記する方法を書き残している。エリスさんはドイツ語で書かれたヘルムホルツさんの文献を英語に翻訳するなどしているんだけど、この人は音響学者でもあって、じつは12音平均律の半音を100で割る「セント」という単位は、このエリスさんが始めたものなんだ。

 サバトさんとシュヴァイニッツさんは、ヘルムホルツさんの書き残した文献や、エリスさんの「セント」という考え方をもとに、倍音関係を簡潔に五線譜に書く方法を組み立てた。
 これは、2倍音、4倍音、8倍音という倍々の音、つまり完全1度関係にある音と、3倍音、6倍音、12倍音という完全5度関係にある音は「♮」とした上で、それ以外の音を五線譜上に記譜するときに臨時記号を付けてあらわそうというもので、具体的には5倍音、7倍音、11倍音、13倍音、17倍音、19倍音…といった関係の音をあらわす記号が用意されているんだ。

図表_51_02

 数学が得意な人は、この数字が素数になっていることに気付いたかもしれないね。こんな感じで61倍音をあらわす記号までが用意されている。つまり、すべての倍音はこれらの数字をかけあわせることでできるってこと。
 例えば10倍音は5倍音である長3度のオクターブ上だから、5倍音と同じと考えることができる。15倍音は5倍音から見て3倍音だから、長3度から見てさらに完全5度。ヘルムホルツエリスノーテーションでは2倍音と3倍音は「♮」、つまり変化がないとする考え方だから、5倍音も10倍音も15倍音も、記号は同じになるということなんだ。

 ただし五線譜に記譜するために、12音の影響も受ける。ここがちょっとややこしくって、つまり一般的な臨時記号の「♯」「♭」「♮」、そして「ダブルシャープ」や「ダブルフラット」という記号は2倍音関係、3倍音関係をあらわす記号という位置付けになっているんだ。

 ピンと来ないかもしれないから、具体的な例を紹介するね。
 ヘルムホルツエリスノーテーションは基調から見た倍音関係を書くことになる。これがどんなことになるのかというと、例えば調号の無い「ハ長調」と「イ短調」ではこんなことが起きるんだ。

譜例_51_03

 これはそれぞれ、「ハ長調」と「イ短調」を基調としたときの13倍音をヘルムホルツエリスノーテーションで書いたもの。音が違うのは調性が違うんだから当たり前で、ハ長調ならばC音の13倍音で「A♭音」、イ短調ならばA音の13倍音で「F音」。ここまではいいんだけど、イ短調上の13倍音が「F♯音」とした上で特殊な臨時記号が付いているよね。

 これがヘルムホルツエリスノーテーションの特徴のひとつなんだ。
 C音を基音としたとき、13倍音は12音平均律から見て約41セント高い「A♭音」なんだ。これは「59セントほど低いA音」と言うこともできる。でも、G音から見たら全音ぶんの200セントから59セントを引いて、141セントも高い音なんだから、A音からのほうが近いよね。だから一般的な記譜法ならば「A♭音」として書くことになる。ここまではわかるかな。
 この、「59セントほど低い13倍音A音」を、ヘルムホルツエリスノーテーションではA音にフラットが2つ重なったような記号で書きあらわすことになっている。

 ところでイ短調、というかA音は、ハ長調のC音から見て短3度下になるよね。A音の短3度下というと、「F♯音」になってしまう。そして、A音を基音としたときの13倍音は「59セントほど低いF♯音」になるんだ。

 もうわかったね。
 この13倍音関係をあらわす記号は長6度の音に対して働きかける役割をするんだ。そのためには、まず音を長6度にしなければならない。A音の長6度上の音はF♯音。だから、まずF♯音にした上で「これは基調の主音から見て13倍音関係にある音です」という書き方をしなければならないんだ。

質問_2020052419210001

 残念だけど、違うんだ。
 これがヘルムホルツエリスノーテーションのもうひとつの特徴で、ふつうの臨時記号のつもりで考えると混乱しちゃうところだと思うよ。

 先に結論を言っちゃうと、ヘルムホルツエリスノーテーションには「何セント上げる」「何セント下げる」という記号は原則として無いんだ。ふつう、「♭」は半音、つまり100セント下げる記号だし、「♯」は100セント上げる記号だけど、ヘルムホルツエリスノーテーションでは五線譜上に書くための便宜的な記号という意味でしかない。オクターブを12個に割って記譜するというための記号でしかないんだ。
 その上で、その音が基調に対して何倍音関係にあるのかを書いていくというものなんだよ。

 何度か出てきている20倍音までをあらわしたこの図だけど…、

譜例_33_04

 これをヘルムホルツエリスノーテーションで書くと、こんな感じになる。

譜例_51_06

 基音に付けられた、上に横線の入った「♮」は調律をあらわす記号で、基調を設定するほか、周波数などを書き込むこともできる。上の譜例の場合はC音を基調、つまり基音にしているということ。
 その上で、「♮」に下向きの矢印が付いたような記号のある音を探すと、5倍音、10倍音、15倍音、20倍音にあるよね。このうち、5倍音、10倍音、20倍音は基音に対して長3度だから同じ音で、それは12音平均律のE音よりも14セントほど低いんだけど、15倍音は長7度で、12音平均律のB音よりも12セントほど低い。なのに、どっちも同じ記号で書いているんだ。

 これは、矢印のような付加記号が、あくまでも「基調の主音に対して5倍音関係」という意味でしかないからなんだ。この記号には何のセントの上げ下げなんて意味は最初から持っていない。そして、ヘルムホルツエリスノーテーションでは基音が♮ならば、オクターブ関係も♮、完全5度も♮という考え方なので、15倍音は「5倍音の3倍音」と考える。だから15倍音は5倍音と同じものとして扱われるんだ。

質問_2020052419210002

 5倍音のさらに5倍音、ということだよね。
 第43回でも出てきたけれど、こんなふうに書くんだ。

譜例_51_08

 C音から見て25倍音は27セントほど低いG♯音。そして5倍音のさらに5倍音なので矢印のような付加記号が2つ付く。
 この記譜法の名前に「JI」、つまり「純正律」という言葉が含まれているし、もう気が付いているかもしれないけど、この記譜法は純正律を書くためのものなんだ。
 純正律は調性によって調律が変わるけれども、例えばC音を基準に音階を書くならばこんな感じだね。

譜例_51_09

質問_2020052419210003

 理屈の上では全部「♮」で書けばピタゴラス音律ということになるね。半音は、倍音で求めたならば「♯」、下倍音で求めたならば「♭」で書いていくことになる。
 ピタゴラス音律は3倍音を積み重ねて作っていて、ヘルムホルツエリスノーテーションでは2倍音と3倍音は「♮」という扱いだから、ヘルムホルツエリスノーテーションとして新たに作られた記号を何一つ書かなければピタゴラス音律として読めるということにはなると思うよ。

 でも、第18回でやったピタゴラス音律の説明を思い出して欲しい。
 ピタゴラス音律は1か所だけ3倍音計算をしないでオクターブとして結ぶために、どこかにピタゴラスコンマを置かなくちゃいけない。そして、どこにピタゴラスコンマが置かれているのか、楽譜からは読み取りにくい。調号が書かれていなければC音が基音なんだろうなってわかるかもしれないけど、それだけではピタゴラスコンマの位置がわからない。
 1オクターブに12個の音を置くには、ピタゴラス音律では3倍音を11回、つまり最大で17万7147倍音まで計算することになるんだけれど、ヘルムホルツエリスノーテーションはもともと60倍音くらいまでしか想定していない。オクターブでいえば6オクターブくらいだね。
 人間の耳に聴こえる周波数の範囲のことを「可聴域(かちょういき)」と呼んだりするんだけど、これは個人差があっても、広くてもせいぜい10オクターブくらいで、17万倍音なんていう17オクターブ近く高い音は考えていないんだ。

 というわけで、今回はヘルムホルツエリスノーテーションについて紹介したよ。
 特殊な記譜法ではあるし、もし純正律のために書かれた曲だったとしても、ふつうに五線譜に書けるわけだから、特に倍音を意識する場面でも無ければ使う機会は少ないかもしれないけれども…、でもせっかくこの記譜法に触れてみたことだし、次回は音律を語る上では避けられない、ある「うなり声」のお話をしてみよう。

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