9th July 2024

夜中に何度も暑さで目が覚める。
夏は本当に苦手だ。

08:00
完全起床。
着替えてコーヒーを淹れる。

文藝春秋編『「オウム事件」をどう読むか』(文藝春秋)

 日曜日に都知事選があった。政策の正しさなど、「普通」に考えれば当選するだろう人が落選した。YouTubeで人気を博した、実績も全くないものが大躍進をした。気が滅入るような選挙結果だった。
 投開票日前日辺りから、徐々に選挙の行方が明らかになろうとしていた。

 僕は記事の見出しだけは見た。
 頭に浮かんだのはハーンの言葉だった。

日本だんだん悪いなりましょう
日本人これから多く悩みましょう


ハーンが死んだとき、日本軍はロシアと戦争をしていた頃だ。
それは中国、朝鮮半島へと兵を進めていく時代とも言える。
やがて第一次世界大戦では、日本はドイツ領等多くの権益を手に入れた。

ハーンの予言が悲しかったのは、日本は悪くなったが、決して悩まなかったことにある。

ママさん先日の病気また参りました

最初の発作から一週間後に、そう云って庭から自室に上がり絶命した。
その顔には苦痛の色はなくかすかな笑みさえ浮かべていたらしい。

 論理的帰結ではなく、イメージや新奇の手法が尊ばれる現状をぼんやりと考えていたら、これはオウム事件と似た構造かも知れないと思いつき、本を開いた。

 大塚英志はオウムを「おたくの連合赤軍」と書いた。社会や自己に対する否定的な感情を持った若者が、60~70年代は左翼に流れ、70年対後半~80年代にかけてはサブカルチャーの中で拡散した形で続いていた。
 オウムが「社会や自己に対する否定的な感情」を起源に持つならば、YouTuber候補に群がる者たちには「自己」に対する否定的な寛恕は持っていないように思える。自己否定のような感覚を持つほど成熟していないと言えば良いだろうか。
 ネット上で使われる言葉「論破」にしても、揚げ足取りにし終始し、相手の話を、特になぜそう考えたのかなど「思考の余白」思いを馳せることもない。ただ大きな声で、息が続くまま、否定的な言葉を吐き散らかしているだけのようにしか見えない。

 サリン事件前にオウムを評価していた者たちは、彼らの在り方に、ユーモアがあると誤解していた。80年代から今も続く表層的なポストモダニズム、パロディ、パスティッシュが宗教にまで及んだのがオウムならば、現在は政治にまで及んだと言えるかも知れない。

 インターネット。「資本主義の表層を高速度で駆け回る情報や貨幣など形のない流動体が全てである」としたとき、最初に切り捨てられたのは生産だった。生産活動やエコロジーといった観点は捨て去り、新たな欲望の喚起を更新し続けることが是とするならば、生産の意味は消費よりも薄弱になりかねない。

井関正彦『ルディ・ドゥチュケと戦後ドイツ』(共和国)を先週読んだ。

 ドイツも日本も第二次世界大戦の敗戦国だが、戦後処理が異なった。ドイツは自身らを戦争の犠牲者とは考えていない。形はどうあれホロコーストに関わったという意識があった。
 かつて偏差値の高かった者たちは、ノブレス・オブリージュとして闘争に加わった。その後、偏差値は高かったかも知れないが世間知らずの中産階級が現実のヴァーチュアリティのおいての多層的な豊かさに気づかず、戯画化されたポシヴィリティに踊らされた。
 偏差値すら高くない者たちは、情報に踊らされているのか絵取っているのかの見当もついていないようだ。


09:30
弁当を詰めてジムへ行く。

息苦しくなるような湿気。
どうにか定番トレーニングをこなす。

仕事場に行く途中でキャベツ千切りを購入。

12:00
仕事場で昼食。雑穀、ゴーヤチャンプル、キャベツ。

12:45
掃除や授業準備を始める。

21:50
授業終了。
送迎の父兄が女性の悲鳴が聞こえる、どうしようか、と教室に来る。
外に出て確認したが僕には聞こえず。

リーフレットの原稿チェックして帰宅。

夕飯。

食後。ジンをソーダで割り、シークワーサーを垂らした1杯。
片付けして就寝。
たぶん24時前。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?