3rd July 2024

05:00
起床。コーヒーを淹れて朝読書。

「エース」編集室『死を考える』(集英社)

 最近のこと、哲学はオワコンというnoteを読んだ。少し懐かしい気分になった。様々なものの終焉や死が高らかに語られていた時代があったなぁと思い出したのだ。そうした動きに反応してしまったのは、なんだかんだでPistolsが宣言した「ロックの死」に衝撃を受けたからかも知れない。

  死や終わりを突き付ける、細やかながら傲慢な物言いから少しずつ離れていったのは、宮川淳の『反芸術 その日常性への下降』で提示した「芸術消滅の不可能性」に得心したからだったと思う。 

「日常性への下降は芸術と非芸術との境界の最終的な無化にほかならない」としながら、「それは、芸術と非芸術との決定的な交流であるとともに、それにもかかわらずいよいよ鋭くなる芸術と非芸術との間の断絶なのだ」と書く。「日常性への下降」とは、芸術を芸術たらしめる基準が存在しない状況に至って、芸術とは何かと逆行するのではなく、「不在の芸術はいかにして存在可能かという不可能な問い」へと向かうものであった。 日常性に下降しながら、無限に拡散しつつも消え去らないもの、それは芸術だけでなく、哲学であろうと人間であろうと入れ替え可能だ。

 抽象的な死や終焉よりも、それを結果的に許さない日常性、あるいは凡庸性批判も、衒学的なものでしかなかった。
 死がようやくアクチュアルな問題に変わったのは、生命倫理について考え始めたからだと思う。

 生命倫理という言葉は、ヴァン・R・ポッターのバイオエシックスから生まれたものだが、それに先立って、1962年シアトルの人工腎臓センターで起きた血液透析をめぐる問題が起きていた。
 センターには透析器は3台しかなかったため、誰に使うか=誰を死なせるか、決定せざるを得なかった。
 更に出生前診断の問題も大きな問題になって現れた。

 生命倫理に触れて思ったことは、哲学では既に批判されつくしていると思われる人間中心主義が蔓延っていることだった。なぜ終わらないのだろう、終わらせることができなかったんだろう、という問いばかりが残る。

07:45
朝食。雑穀、チキンカレー。
弁当を詰めてジムに向かう。

08:45
トレーニング開始。
12㎞走るつもりがバテてしまい、8㎞で一度インターバルを取る。
その後5㎞走る。
筋トレもどうにかこなす。しかし全く体に何も影響が出ていないような気がする。

10:30
ジムを出て100均で今日から体験に来る生徒のGoodsを揃える。
その後、郵便局で英検受検料の払い込み。5万円消える。

12:00
仕事場で昼食。
雑穀、塩鮭、小松菜の漬物、卵焼き、オクラ、味噌汁。

12:45
教室掃除。

15:00
小5女子来始める。そのまま授業開始。

22:15
帰宅。夕飯。

蒸し暑い夜。
寝苦しいが疲れからか寝つきは良かった。
23時には就寝。

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