ロバート・ジェラテリー『ヒトラーを支持したドイツ国民』(みすず書房)
ナチスについて何か語られるとき、残虐さによって拡声された人種主義、優生思想とは人道に対する大きな罪が前提とされる。それに対する批判は存在しないだろう。だが。
スターリンと異なり、ヒトラーは幅広い社会階層を屈服させてはいない。それは国民投票型独裁制とでも呼ぶべきものだ。国民に理想主義の動機を与え、ドイツの伝統で最良のものを体現するという共同体幻想を与えることに成功した。
ナチスは政権の基礎固めのように、国民への全面テロを必要とはしなかった。ナチスは支持されたのだ。思考判断ができないロボットだったから支持したのではない。ドイツ国民はヒトラーがもたらす利益に納得し、自らヒトラーの臣民となったのだ。
ゴールドハーゲン『普通のドイツドンとホロコースト』(ミネルヴァ書房)では、ドイツ国民の心情にルターの反ユダヤ主義があり、それを解放したのがヒトラーであったという指摘がされた。
ジュラテリーは反ユダヤ主義だけでなく、失業対策、良俗、法秩序の回復、犯罪撲滅、街頭清掃(=物乞い、売春婦とヒモ、ロマの追放)、反共産主義、同性愛者弾圧に、古き良き時代の郷愁を持つ国民に合意させてきたという。
この史実から、失業政策など経済に強い政治家が、保守的な価値観を巧く語ることで扇動するとき、国民投票型独裁制は世界中で復活する可能性があるということだ。
いや、それは既に起きた。
第二次安倍政権は311を「第二の敗戦」と感受する心性に拠っていた。原子力神話の崩壊を、無人の岩礁をめぐる領有権主張、中韓への歴史戦、ハリボテの栄光を示す東京オリンピックの開催に人が酔ったことを目の当たりにした。
中韓へのレイシズムは植民地時代の価値観への揺れ戻し、先祖返りのような代物でしかないのに、ヘイトを肯定までは行かずとも、容認しつつあるのも同じ「酒」によるものだろう。
今週末に自民党総裁選がある。候補の一人が秋葉原で(秋葉原!)で、激しく中国政府を批判していた。その激しさは悪酔いにしか見えなかったが。
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