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2021年12月号『思想 追悼ジャン=リュック・ナンシー』(岩波書店)


 初めてジャン=リュック・ナンシーの名前を知ったのは、1992年か1993年だったと思う。「ヨーロッパ文学の十字路」というシンポジウムを、フィリップ・ラク―=ラバルトと共同で開催したことが始まりだった。
 この活動から1993年、「国際作家会議」が発足し、世界中で深刻化しつつある作家・知識人への迫害に抗議し、文学の自由な活動を確保するため、300名以上の作家たちが連帯した。『悪魔の歌』の出版でイラン政府から死刑宣告を受けたサルマン・ラシュディ、ボスニア内戦下で『ゴドーを待ちながら』を上演したスーザン・ソンタグ、カリブ海地域を中心としたクレオール文学の代表的作家エドゥアール・グリッサン、そしてサイード、デリダ、ブルデューらが参加し、国際的な知識人運動が展開された。 

会議では、非西洋世界における「表現の自由」や「人権」の抑圧に抗議するだけでなく、それらの価値の西洋中心主義的な我有化が批判的に問い直された。(西山雄二『ヨーロッパにおける知の十字路 ストラスブール』)

 ナンシーの思想の根幹にあるものは、「共」だったと思う。そのことが20年以上、彼の著作に触れずにいた理由だった。僕は今も一人称複数で語ることが苦手だ。たまに用いるときは、挑発だったり韜晦だったりと、真っ直ぐに遣うことができないままだ。
 そうした性向は、たまたま時代精神(のようなもの)と合っていた。存在について問いながら、存在忘却の場でもある日常性、公共性について無神経だった。死に直面することで立ち上がる本来的現存在の覚醒を、大した考察もせずに民族の共同性として否定的に受け取っていた。
 古い共同体の解体から、近代社会が生まれるという近代化論がある。小中高(そして家庭もだろうか)という学校はゲマインシャフトでしかなく、それらを解体したところで初めて個人が存在するように感じていた。たまたま僕にとっては高校近くのジャズ・バーで働くことや、酒を飲むことがゲゼルシャフトのようにあった。未成年の喫煙や飲酒、街の埃のような人たち、ヤクザやら風俗嬢やらとの歓談は、モラルを強要する共同体批判であった。少なくとも共同体に埋没することが頽落であり、共同体の「共」に民族の繋がりを重ねる考え方を批判する哲学は妙に性に合った。
 しかし、そうした言葉遊びらばかり興じているわけにはいかなくなってしまったのだ。冷戦構造の解体後、グローバリゼーションがナショナリズムを再燃させ、〈国民共同体〉の強化を図ろうとするバックラッシュに抗う思考が緊急に要請されるようになったのだ。「国民国家」に属しながらも、「共」は近代の企てではなく、公共性も頽落ではないことを証さなければならない。実用性の効用だけに、つまり凡庸なプラグマティズムに堕すことが頽落であることを示していかなければならない。「私は」、「僕は」と語ることが分断を生む契機であるならば、積極的に「われわれ」と語ることで主体を再生産し続ける構造を解体しなければならない。

 そんなことを思うのだ。

 僕がナンシーにとても親密なものを感じるのは以下の一節による。

 彼[イエス]を信頼すること、それゆえ信のなかにあること、それは屍体の再生がありうることを信じることではない。それは死を前にした姿勢維持の革新のうちに、毅然として自らを保つことである。この姿勢維持ははまさしく、アナスタシス、復活を、つまり再起あるいは隆起をもたらす。

 奇蹟の有無など全く無意味である。
 そんなことが信仰の核にはならない。より効果のある奇蹟へ、都合の良い方へ行くのが関の山だ。

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