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家畜人ヤプー

割引あり

私は、人の本来の生き方は、農耕を行わない狩猟採集生活であると考えます。チンパンジーやボノボと似たような存在であった人類の祖先が森から出てサバンナに踏み出したおよそ800万年前から、人類が農耕を開始するおよそ1万年前まで人類は野生動物と同じような生き方を続けてきました。野生動物との大きな違いは途中からは火を使って加工した食べ物を食べるようになったことくらいでしょう。おそらく、南アフリカのブッシュマンや、中央アフリカのピグミー、タイのムラブリ、北アメリカのヘアーインディアンなどのように、家族を基本とし、数家族が集まってキャンプ地を作るような暮らしだったことでしょう。それが、本来の人の姿でした。つまり、人の本来の性質に合った暮らしです。

やがて、人は大型漁具や船を作って水辺に定住し、農地を開拓して穀物を保存するなりすることにより、より大きな権力を持つ者が、そうではない者の生存や子孫繁栄に対して影響力を持つようになり、年貢を収めさせたり、労働力を提供させたりするようになりました。支配者にとって都合の良い一般人が生き残り、子孫を残しやすくなり、自由気ままな暮らしは制限されていくことになりました。大衆の家畜化の始まりです。これが大きくなったのが国家です。したがって、国家とは大きな家畜小屋です。ただし、時計もなく、自動車や飛行機、電力もない時代には、まだまだ徹底管理は無理なうえに、身の回りには豊かな自然が広がっていましたから、野山に出かけて山菜を採り、魚やウサギを採るような時間も持つことができていました。

このような文脈で今の私たちの生き方を見ると、支配者による大衆管理が徹底され、カネを得るために能力を磨く家畜としての生き方が強制されていることが見えてくるのではないでしょうか。もちろん、さまざまな娯楽があり、さまざまな夢を描いて努力することが可能な世界が実現されたという見方はあり得ます。ところが、そうした夢や娯楽は、やはり文明社会という家畜小屋に大衆を閉じ込めておくことができるものに限定されています。西洋の優位性を否定するようなものや、支配者による徹底管理を崩すようなものは決して許されません。大衆は支配者の提供する価値観を受け入れて、その中で一喜一憂し、根源的な疑問を持たずに、幻想の中で生きて、すぐれた家畜になれというわけです。(今日本に、たくさんの外国人が入り込み、政治もマスコミも乗っ取られて、反日勢力に税金が流れるような状況が生まれているのは、日本の歴史が西洋の優位性を否定するような性質を持つからだと私は考えます)。

何も意識しないで暮らしていると、マスコミと学校教育によって注ぎ込まれる大衆を家畜化するための情報にどっぷりとつかって、自分たちがどれほど不自然な生き方を強要されているのかも、目に見える国家以外に本当の支配層が存在していることもまるで見えなくなり、与えられた枠組みに沿って思考することになります。たとえば、文明の支配者が日本を支配し始めた明治期から徹底された裸体で出歩くことの取り締まりについて、それが支配のための策略であることを見抜くことはできず、先進国になるには、そのような旧弊を捨てなければならないと思い込まされてしまうのです。

感染症騒動からのワクチン猛推進にせよ、LBGTにせよ、SDGsにせよ、ここに述べたような人類家畜化の歴史が事実であることを証明していると私は考えます。支配者たちの意向にそって人口を削減し、本来の生き方を否定して、より扱いやすい家畜を残していこうというわけです。

いずれにせよ、家畜としての大衆に幸せはないと私には思えます。

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