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うちのねずみが母親の葬儀でやらかしたのはなぜか?

ある日我が家に1本の電話が…
親と同居している弟からでした。
内容は
家出している嫁が帰って来たいらしいけど、親がいると帰りずらいから
両親を暫く預かって欲しい。と言うものでした。
彼女の気持ちはわかるけれど、家出していた間2人の子供達の面倒を
見てくれた親に一言のお詫びもお礼も言わずに親を追い出して帰るのは
少し違うんじゃないか、と思いましたが
反対する夫を説き伏せて承諾しました。

我が家での同居は数ヶ月でしたが、その間に長男の結婚が決まり
義母には結納品とか結婚指輪の購入について行ってもらったり
何かと結婚の準備を手伝って貰いました。
長男は初孫でも有り、とても可愛がってくれましたから(8年同居していましたからね)
出来ることは何でもしてくれましたね。
結婚祝いも沢山して頂きました。(笑)

結婚式に彼女を呼ぶべきか迷いましたが、
彼女の立場も考えて招待したのですが、当日は笑顔もなく、暗くて
両親と一切喋る事もなく態度もギクシャクして元気がありませんでした。

夫は、目出度い席をぶち壊す奴だと怒っていましたが

彼女には針の筵だったかも知れません。
明るい何時もの彼女を知っている私もつらかったですね。
本当に来たくなければ、
それなりの理由を付けて出席しない選択肢もあったのに
彼女なりに辛い決意で出席を決めたのだと思いましたから……

それから数か月後本当は私達と同居したいと言っていた
夫の両親は潔癖症の夫の小言に義父が耐えられ無くなり
家に帰りました。
幾ら私が小言を控えて優しくしてあげてと言っても駄目でした。
自分がこうなったのは親の育て方が悪かったからと
未だに頑なに言う夫は今でも親の事が嫌いだと言います。
(今まで超々迷惑をかけてきたのにねぇ…)

義妹も親の事を嫌いだと言います。
出来のいい美人の自慢の1人娘で大切に育てられたのにね。

義妹が結婚する時は、全財産を使って、
たとえ身代が傾いても良いから最高の支度をしてやりたいからと、義母は
何もかも最高の嫁入り道具を揃えました……
それは義妹も分かっているはずなのに・・・

でも、情が深い夫は親の事は大切だと言っていました。
健康で長生きして欲しいと良く言っていましたね。

老人ホームに入所して初めて訪問した時
義母と夫は顔を合した途端に泣き出しました。
「夫はこんな所に入れやがって」と言いながら…
母親に認知症の症状は見られず杖をつけば歩いて部屋にある
トイレにも行けていました。
私達は長ければ半年、短くても3ヶ月は仕事で県外です、
で、帰って来ると義母を訪ねました。
歩行器でホーム内を歩かせたり、
車椅子に乗せて外にに連れ出したり出来るだけ一緒にいる様にしましたが、
ホームの責任者のYさんには余計な事と思われたようで、
私が行くと、何やかや理由をつけて面会させなくなりました。

入所者の中に義母と仲が良いTさんがいて、とても元気な方で
御主人と2人入居したそうです。
母より後から入所された方です。
その頃は御主人は元気に歩いていましたが、何カ月後に行くたびに
歩けなくなり、寝たきりになりました。
Tさんが言うには、元気に入所してきても、直ぐに寝たきりになり
亡くなっていくのだとか。
義母もそうでした。
行くと手足をマッサージしたり、出来るだけ話をしたりしましたが
ドンドン悪くなっていきました。
ある日夫が母に「預金通帳はどこ?」と聞きました。
母は家にある、と言いました。
次男夫婦に不信感を持っていた彼は、
「次男夫婦に渡したら駄目、3男に管理して貰えと」言いました。
3男は裕福で一億円近いお金を持っているようでしたから。
母に必要なお金だけを使ってキチンと管理してくれると判断したそうですが
次男と仲が良い3男は拒否しました。
その頃次男夫婦と色々な事でギクシャクしていた義妹は
夫に「兄貴がちゃんと管理しないと」言って来ましたが
殆んど母の傍にいない夫には出来ないと言うと、怒っていましたね

33年営んできた店を断腸の思いで畳んで外交のみで生活しなければ
ならない私達は母を引き取って面倒を見てあげる余裕もなく
ホームにお任せするしかありませんでした。
大嫌いなYさんは論外でしたが
優しくて温厚な介護職員の方によくお願いして母を託しました。

見出しの写真は鳥取県倉吉市の風情ある街の風景です
(倉吉のはわい温泉は良く行きました。とても良いお湯です)












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