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民芸論 課題2

民芸論を出しました。
いやーーーーしんどかった!絶対に工芸論と民芸論を取り間違えたんだと思う。
でも結果ハンドメイド作家としてこの授業を取ってよかったと思う
柳宗悦との出会いは衝撃だったし、今後もこうした民芸品を知識がある視点で触れ合うことが出来るし、この貴さを実感できるだろう。
評価はB評価。うーん悔しい。多分先生とわたしのポイントが違ったんだと思うので、仕方がない。
以下レポートです。

取材協力(敬称略)
民芸店ましこ
株式会社 濱田窯

参考文献

 私の住む栃木県では益子焼の焼き物文化が栄えている。本レポートでは、現在の益子の民芸品の現状を報告する。
益子焼の始まりは嘉永5年に笠間で技術を習得した大塚啓三郎が益子にある大津沢で良質陶土を発見し、根古屋で窯を開いたことが始まりである。江戸時代末期より益子の民芸品は,焼物の産地として発展し水瓶や土瓶,すり鉢といった台所用具を製造していた。1962年に濱田庄司が益子に移住し,『用の美』に着目した柳宗悦らと共に民芸運動を進めるかたわら、地元の陶工たちに大きな影響を与えた。今まで台所用具ばかり作っていた益子の職人たちにとって濱田の作品は衝撃的だったであろう。これまで日用品だけ作っていたが、濱田庄司にあこがれ民芸陶器を志す者が出てきたのである。それが益子焼のはじまりである。
 益子では春の大型連休と秋に陶器市が開催されている。そこでは全国の作家たちが思い思いの作品を販売している。これらの作品たちは作家たちの心の城そのものであった。近年ものづくりをする人々は、職人ではなくなり個人の作家として活動する人が増えている。益子では200名ほどの作家が活動している。数年間窯元で修行をして、独立をする。陶器市ではそのような作家たちが自分の作品の見せ場として個展のような感覚で利用しているのである。そして、販売方法は店頭での販売はせずに特定の催事や個人でインターネット上に店を開き、個人で販売するなど、販売方法も多様化している。インターネットの普及により自分で情報を発信し、ブランディングしているのである。今年の陶器市は3年ぶりの開催となり、1日に約4万人が益子に訪れていた。多くの人々が陶器市の開催を心待ちにしており、そこには作家と買い手の「人と人」の繋がりを垣間見ることができた。

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