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[短編小説] 夜明けにキス


いつからだろう、ここにいるのは―。


真っ黒の中をひたすら歩き続けている。
下は泥だろうか砂利だろうか。ざらざらと重い感触がスニーカーの底から伝わってくる。

白いスニーカー、汚れてるだろうな、と思ったが、特にそれ以上気にすることもなく私は進む。

なぜここにいるのか、ここはどこなのか。まったくわからない。


真っ黒の中を歩いていても少しも怖くないのが不思議だ。
なにかに追われているわけでもなくなにかに吸い寄せられているわけでもないが、ただただ前に向かう。

ここは洞窟かトンネルか…。
さっきからひんやりと冷たい風が私の後ろから左耳をかすめて通っていく。
右手を伸ばしたところに岩肌らしき湿った壁があるが、少し前に触れた時は湿っておらず空気も乾燥してほんのり暖かかった。
今は上から水が落ちてきてもおかしくないくらいで少し寒い。

ここはたえず変化しているようだ。




どのくらい歩いただろうか。
突然私の2、3メートル後ろでカラカランとビーズのような小さなものが落ちる音がした。
振り返るとそこにはキラキラと光る小さな小さなダイヤモンドが一粒落ちていた。

ここには光などないのに、白く青く黄色く時にはピンク色に美しく輝いていた。

私は少し離れたところに落ちているその粒をじっと見つめた。


ダイヤモンドなど持ってない。ましてや本物は見たこともない。
でも、あれは確実に私のものだと思った。
私から落ちたものだ、と思った。

私のものなら拾うべきだ。

だが私はそれを拾いに行かなかった。
確かにあれはまばゆいほどに美しいが、私を惹きつけるほど強くはなかった。

私はダイヤモンドを見つめるのをやめ、再び歩き始めた。
後ろに置いていかれた一粒の気配を感じながら、そのまま前だけを見つめる。

気のせいか心が軽くなっていた。





少し先の頭上にこうもりが三匹逆さになってぶら下がっている。
ぎょろぎょろした好奇心旺盛な目でこちらを見ていた。
普段の私なら驚きと恐怖ですぐさま逃げ出していただろうが、やはり今は恐怖心というものをどこかに置いてきているようだ。


私はぼーっと過去について考えていた。

過去といっても幼稚園の時に隣に住んでいる友達と喧嘩したとかではなく、もっと古いもの…私自身に染み込んでいる記憶のようなもののことを考えていた。

ひょっとすると私は今、過去から未来に向かって流れている通常とは異なる時間軸の上を歩いているのではないかと思い始めた。

不思議な世界だ。

お母さんのお腹の中ってこんな感じだろうか。


こうもりたちは真下を通り過ぎる私をなおもぎょろぎょろとした目で見つめていた。




あれこれ考えを巡らせながら歩いていると、後ろの方からかすかにゴトゴトという音がしてきた。
立ち止まって耳を澄ませると、その音は私のいる場所よりも深いところから聞こえてきて徐々に近づいてくる。

地下を走っている電車かなにかか…
そう思った瞬間、はるか下の方に後方から二筋の光が差し込んできた。


電車だ。

今どき珍しいずいぶんとレトロな電車がゴトゴト走っているのが見えた。
こんなところで誰が乗っているのだろうと中を見てみると、そこはカラフルなまるい光で満たされていた。


オレンジや黄緑、水色の光。
赤い光が二つ連なっているものや他より二回りほど小さい黄色の光が3つくるくる回っている場所もあった。茶色や黒もある。
黄色をピンクが包み込んで二重になっているものはとても温かい光を放っていた。


たくさんの色を乗せたその電車はどこへたどりつくのだろう。
これからあの光たちが混ざり合うのはどんな色なのだろう。

電車はそれぞれの温度を感じながら真っ黒の中を走っていく。


私は静かに電車を見送り再び歩き始めた。




周囲はまた真っ黒になったが、私の頭の中にはさっき見たカラフルな光が鮮明に残っていた。
一つ一つの光を思い浮かべては、どれも昔から知っているような気がした。

ふと、薄くぼやっとした光が私の正面にずっととどまっていることに気がついた。
これは私が頭に思い浮かべた光ではない。

本当の光だ。

そう思った瞬間風が強く吹いた。
いますぐにでも駆け出したいが、なんとなくここで走ってはいけない気がしてなおも一歩一歩ゆっくりと踏みしめながら歩いた。


前方の光はまだ薄いままだが確実に近づいていた。


なぜだろう。急にお母さんとお父さんの顔が浮かんだ。
こんな場所でこんな時に浮かんできたその顔は思いのほか懐かしく、溢れてきたもので光が揺らいだ。

いまごろ私のことを探し回っているだろうか。
それともこの瞬間も私はいつもの世界にちゃんと存在しているのだろうか。


どちらでもいい、いまの私で会いたい、と思った。



相変わらず光は薄いままだが出口がはっきりと見えてきた。
その先は濃紺だが道は続いている。

海の匂いがしてきた。風の音も強くなってきた。


外に出る、ただそれだけのことなのに得も言われぬ感情の波がどっと押し寄せてきた。
心拍数が上がり、自然と歩みも速くなる。


ようやく濃紺と黒の境目にたどり着いたとき、立ち止まって目を瞑り一度大きく深呼吸をした。

後ろの黒を振り返りはしない。
不快な場所ではなかったけれどもうここに戻ってくることはないだろうと思った。


もう一度大きく深呼吸をし、
そして外の世界へ一歩踏み出した。





見渡す限り 果てしない海と空。

まだ紺色の波がやわらかく揺れている。
見上げたコバルトブルーには無数の星―。


こんなにも美しい場所があったのだ。

海も空も土も草もみなが私を迎え入れ、支えてくれている。



何にも染められてない美しい風を感じ、すべてを洗い流す大きな海の音を聞いた。

満ちている。



コバルトブルーを白がゆっくりと押し広げていき、波がきらめく。

水平線がオレンジに染まり始めた。

いずれあのオレンジから出てくる強くて大きな光が私のすべてに差し込むだろう。





夜が、明ける―――。







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