レポートを書かなくちゃ

 今日は大学の講義で企業さんの話を聞くというのがあったのだけれど、
やっぱり案の定レポートを書かなくちゃいけないらしい。書く分量は手書きでA4用紙裏表を埋めるくらい。企業さんのされた説明の内容はなかなか凝っていて面白かったし
手書きのレポートは結構好きだから課題にしては軽い部類です。でもそうやって高を括っていると、、手がつかないのです。学ばない。金曜日だから疲れているというだけなら眠って解決ですが、今日は意外にも体力は余っている。帰宅して早々に始めたのは掃除。試験期間の時間がない時に唐突に始める掃除と同じです。確かに部屋はちらかっているので悪いことをしている感覚は少ないけれども、課題をしようとして掃除を始めてるのはよくないかもしれない。しまいには唐突にnoteを書き始めている。昨日旧ついったーのフォロワーさんが見せてくれたnoteを見て良いなーと思ったのがきっかけです。でもそのフォロワーさんみたいに奇天烈なおもしろ文章を書きたいわけではなくて、自分が見返す日記や備忘録くらいの感覚で何か書けたらなと思っています。
 そうそう、その企業さんの話を聞くのが3限だったのだけれど、4限も似たような雰囲気では進路に関する説明を聞いていました。こちらはですね、興味深い部分もあってサボらずに就活をすれば就活を成功させられるし、サボらずに勉強をして修士課程や博士課程に進んだのちに就職したら研究職や幹部候補として就職ができる可能性が真面目に高まりますよなどという話でした。実際はそんなに自己啓発的な内容ではなかったかもですが、私はそういう部分も好きです。最近はSNSでの悪評に影響されて、中学生の頃とかに読んでいた自己啓発本コーナーの本は読まなくなってしまったけれど、心理学とか哲学とかある程度学問として認められているものなら分野自体に対する悪評も少ないので今でも関心が高いです。文章に起こしてみて気がつきましたが結構周りの評判に自分の判断が流されていますね。気をつけよう。
 あとはTOEICの勉強を少しはしておこうという気持ちになってきたこの頃です。受験用の英語を完成させずに受験に挑んで、それ以降はTOEICより役立つことがあると信じてこれを避けてきましたが、ここにきて点数化されるというところに魅力を感じてきました。人を点数で判断するなとはよく言いますが、この点数は自分自身を勇気づけるものであると考えれば、自分を納得させられます。義務教育の頃に比べて自分がどの立場に生きていて何を目指せば良いかが分かりにくい。自分の立場がわからないと何をするにも行動を見誤ってしまうかもしれません。学校を卒業してもどこかの組織に所属するだろうから、会社での立場を意識すればある程度自分の状況を見誤る場合は避けられそうですがそれでも、例えば同期はすごく社会に貢献できているけど自分は全然だと感じる時があるとしましょう。ただこれだけですが、これはもしかしたら状況を見誤っているかもしれないのです。可能性の話ですが、感覚を根拠にしているとこういう場面で必要以上に自分を卑下してしまうことはあり得ます。これは極端な話でしたが、そういう感覚だけを指標にして物事を見るのは危険ですからこういう時に決まった指標があると嬉しいものです。そうTOEICもそのひとつ。

…まあそんな感じで思考を飛躍させていたらモチベーションが湧いてきたのです。受験英語は苦手でしたしTOEICも同じようなものですが、英語自体は好きですし修士に行くにも論文を書くにも英語が必要なので久しぶりに英語が必要な場面がめぐってきたなぁという感じ。
 書いていて思い出しましたが、先ほど少し嘘をついていました。大学1年の頃にTOEIC-IPテストを受けさせられていましたので、受験で終わったわけではなかったですね。1回目は忘れてしまいましたが2回目の点数は410でした。一般に言えば恥じるべき点数だと思いますが、理系学生としても確かに恥です。隠すものでもないので書き残しておきましょう。今後少しでも点数が上がればまた点数を記録したいと思います。
 これを書いていたらそろそろ夜の10時をまわりそうな時間になってきました。レポートは今日のうちに仕上げたいのでnoteはこのあたりにしておきます。
おやすみなさいませ。

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