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書いてきたもの⑨〜備忘録として〜

数年前、天狼院書店のライティング・ゼミを受けていました。
そのとき書いたものが散逸しないように、ここに残しておこうと思います。
気になるものがあれば、ぜひ読んでみてください。
(読むのにそれほど時間はかかりません)



18 人生が楽しくなる魔法を手に入れたら

悩んだ時に友人が何気なく書けてくれた言葉が、思いがけなく心にしみて、それがこれからを大きく変えてくれることがある。

私は、人見知りなほうだ。
八方美人で、協調性があるようにみられがちだけれど、苦手そうに感じる人には初めからあまり深入りしないように構えているし、初めましての人に会う時は前日からドキドキして眠れない。
できることなら、知らない人ばかりのところへは行きたくない。

思い出すのは、小学校5年生くらいのこと。
叔父の家に遊びにいったときのことだ。叔父の地元で、小学生の縄跳び大会があるから来たついでに行ってみないかと誘われ、叔父の自宅近くの広場にいった。
そこには、自分と同じくらいの小学生がたくさんいた。学校が違うので知っている人は誰もいなかった。
縄跳び大会の詳細は忘れたが、長く飛べる競争とかそんなんだったと思う。
みんなは会場内で友達を見つけて、和気藹々としているが、私はぽつんと一人だった。叔父に連れてきてもらった手前、帰りたいとも言えず、そこでじっとしているしかなかった。
少し離れたところに、私と同じように一人で佇んでいる女の子がいた。多分、自分と同級生くらい。
「思い切って話しかけてみようか……」
ふと頭に浮かんだ。でも、できなかった。
急に話しかけて、変な子だと思われて拒絶されたら嫌だな。
今は一人でいるけど、もしかしたら他の子を待っているだけかも。
そもそも何て言って話しかければいいのだろう。「いい天気だね?」とか? 
ああでもない、こうでもないと思案しているうちに、彼女の姿は見えなくなった。

結局、彼女には話しかけられず、誰からも話しかけられることもなく、縄跳び大会を後にした。

あの時、思い切って話しかけていれば、私は人見知りの壁を突破していられたのだろうかと、今でもたびたび考える。

そんな私が人見知りの壁を乗り越えるきっかけになったのは、友人からの一言だった。
教えてくれた友人は、初めて会った人にも、ずっと前から一緒にいる人にも分け隔てなくフレンドリーで優しい。
いつも心の奥をみせない友人も、彼女には心を許しているように見える。

その彼女に、「初めての人ばかりのところに行くのが怖い」と相談したときの話を書いた記事がこれ。

それ以来、彼女の言葉は何度となく私の背中を押してくれる。知らない世界の扉を何度も開けてくれた。どれも楽しい私の居場所になった。

星野源が、エッセイで書いていたことを思い出す。
「人見知りでと、さも被害者のように言うのは、『自分はコミュニケーションを取る努力をしない人間なので、そちらで気を使ってください』と恐ろしく恥ずかしい宣言をしていることと同じだと思った」

私も自分が傷つくことを恐れて、コミュニケーションを取る努力を放棄していたんだと思う。
もう「人見知りです」とは言わないようにしよう。
だって、本当は人が好きだから。
いつも誰かと話していたし、誰かと一緒にいたい。
一人も好きだけど、誰かといるほうが元気でいられる。

彼女が教えてくれたのは、本当の私が楽しくなる魔法だった。

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