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揺らぐ世界と、溶け出す自己輪郭

「あなたが〇〇として存在するのは何故ですか?」

こう問われたとき、あなたは答えられるだろうか。〇〇に入るのはなんでもいい、生物でも、国民でも、会社員でも。

この問いに対する回答、すなわち自己の存在理由は「アイデンティティ」と呼ばれる。

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蒸し暑い夜、繁華街の喧騒を一人で歩く時や、会社のデスクで仕事に集中できず焦燥感に飲み込まれそうな時、自分の輪郭が揺らぎ、立ち消える感覚を覚えることがある。

周囲を見渡せば、楽しそうに談笑する人や、仕事に打ち込む人の顔が目に入る。「いまこの瞬間、ここにいる意味を知らないのは自分だけではないのか?」という、深い疎外感。頭の中の暗い空間に、思い描いていた自分の輪郭が溶けていく。

溶け切ってしまったら、いまこの脚で立っている世界には戻ってこれないような気がして、あわてて両手で溶け出していく輪郭をかき集める。

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この得体の見えない不安感は、もう長いあいだ頭にまとわり続けている。

奴らに襲われ暗闇に突き落とされたとき、僕は必死に言葉を積み上げて自分の輪郭を再構築する。僕にとって「言葉」は、奴らに対する唯一で最大の対抗武器だ。

攻撃を受ける度に都度揺らいでいたら生活すらできない。そのために日々その武装を堅牢に、自分の存在理由を自分が理解し納得できる言葉で紡ぎ、その言葉を纏うことで、ちょっとやそこらでは揺らがない自分に変えていく。

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例えば、恋愛関係を考えてみよう。青々しい、20歳前後の恋愛だ。

あの歳頃の人間は往々にして不安定だ、これを読んでいる人の多くに覚えがあるだろう。この不安定の正体は、まさに先の不安感に対する武器の少なさ故である。自分が何故存在するのか、親元から離れたばかりの若者は知らない。

いや、もう知っていた気でいたが、初めて世界に投げ出されその自信を粉々に砕かれる時期だ。

何故ここにいるのか、これからどう生きていくのか、言葉にできず地面が揺らぐような感覚に襲われ続ける。しかし、そんな苦しい時期に恋人を持つと途端に安定する。

隣にいるだけで互いに必要とされている実感を得られ、そこにアイデンティティを見出し、自分が世界に存在することを認知する。しかし、この一見強固に見える関係は非常に脆く、一度揺らぐと途端に崩壊する。(これも多くの人に経験があるだろうか…笑)

何故だろうか?

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言葉がないのだ。彼らは自分の意味を知るための言葉を、自分の中に持っていない。

「相手は自分を必要としている」という実感は、砂上の楼閣だ。必要としているのは相手であり、その意志は相手にのみ内在されている。

その状態で小さなきっかけで「本当に必要とされているのか?」と疑念が湧いたとき、当然その答えは自分の中にはない。その事実に驚きつつも、自分の輪郭が急速に崩れていく中、慌てて答えを相手に問いただすことになるだろう。

問いただされた相手はどうだろうか?答えようと、当然自己に内在すると思い込んでいた言葉を紡ごうとするだろう。しかし、その言葉は地に足がついておらず、宙を滑っていくことに気がつく。口から言葉が出るたび、あれ?自分は本当に必要としているのか?という疑念が膨らんでいく。

一度や二度は、その場しのぎの応急処置で復旧できるかも知れない、しかしやがては崩壊するだろう。よく聞くパターンだ。

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「自分は何故ここにいるのか?」という不安感に対しては、対抗するための武器を自分の中に持たねば戦うことができない。

僕にとってその武器は「言葉」だが、自分を納得させられる「表現」であればなんでもいい。絵画や書道、楽器演奏でも、スポーツでも、なんでもだ。

自分の輪郭は手を伸ばせば触れる気がするが、それは虚像である。表現を通して自己を発露して輪郭を描いたとき、そこで初めて人は自己を認識できる。

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SNS等、インターネット上で他人の表現に触れる機会が暴力的に増大した。急速に変わったこの世界では、他者と対比し自己の脆さが炙り出されることも増えた。とてもつらい世界だ。

武器を持たねば、あっという間に不安感に飲み込まれてしまうだろう。この世界を生きていくためには、武器を持ち、磨き続けていねばならない。

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※自分がやってきた武器の磨き方や、その強みについてはまた今度文章で整理しようと思う

※現代の生きづらさは、地域や会社の限られたコミュニティで、限られた数の人と触れて暮らしてきた中高年以上の人は理解できない

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