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2020年の所感

年の瀬である。
区切りごとに人生を振り返って書き起こし、その言葉を食う事は大きな効果を持つので今年もやっておく。

2020年の大きな要素は
・北海道/室蘭への異動
…これまでの人間関係は全て関東中心、単身未知の土地へ
・不景気による会社の就業制限
…臨時休業により年休日160日、残業一切不可。膨大な余暇。
・新型コロナウィルス騒動
…対策と結果、先の見えない選択。浮き彫りになる個々の思想。
だろうか。この3点をベースに振り返っていこうと思う。

〇思想面
昨年の振り返りでは「人を理解したい」と書いた。
〜人を理解したいと思う話~ この1年の所感
この意識は段々と強まるばかりで、意識から実行に、強く移行した年だったと思う。

これまでは自分の経験と友人とのコミュニケーションを元に理解を深めてきたが、中々人と会えない現状と膨大な余暇の影響を受け、幅広く思想書・哲学書、科学書を読むようになり、それらの書評を書いて多分野同士の有機的な繋がりを見出すことで、「人類」という大枠、思想の積み重ね、世界のうねりを掴めるようになった。
この有機的ネットワークは本当に面白くて、1つを読めばまた3つ。哲学書を読めば、次はあの科学書を読まなければ…と興味とその幅が増大する一方だ。

今まで帰納的に理解を進めていた「人」を、演繹的に捉えることができるようになった。といっても、自分の思想ベースは前者なので、無闇にレッテル貼りに走ることを抑制できている。我ながらいいバランスだなと感じている。

人類への理解が深まることで、その思想の積重ねの尊さ、その先頭に立ちまたひとつ積もうとする、今を生きる人たちへの尊敬が増した。好きな友人がもっと好きになったし、漫画や巨大構造物等の表現物に対してよく泣くようになってしまった。

新型コロナウイルス騒動でも、医療従事者や官僚と政治家が一つ一つ模索し判断して行くプロセスに強い敬意をもった。一方、それらの尊さ、重さを理解しようとする姿勢もなく、ただヒステリックで空虚な批判をする人のあまりの多さに辟易としている。この傾向は誰も幸せになれないなと強く感じている。
ただ辟易としているだけではなく、人に対する敬意、その根底を理解する。何かしらの方策でその教育を施せば世界はもっと豊かになると漠然と考えている。
自分の行き着く先は政治家か教育者な気がするな…とか。

〇仕事面
日本製鉄の研究所に3年勤務後、2月に室蘭製鉄所への異動。仕事内容は「耐火物に関するライン改善開発」のままベースは変わらず、変わったのは部署の規模。30人→2人。
この規模だと完全に仕事が自由裁量になる。
異動後に引継ぎの業務一覧を受け取ったが今や跡形もなく、手元の開発案件は全て自分の足で課題を拾い、成果インパクトを整理し、大きい順に案件化したものである。
開発方針も全て自分で決められ、技術論に筋が通っていれば誰も止める人はいない。とても楽しい。

研究所との大きな違いは、理論と違い不確定要素の多い実設備をいじることだ。どんなに机上検討を積んでも「やってみなきゃ分からん」ということが大半で、そのGO判断は自分に委ねられる。生産/品質リスク、判断を伸ばすことによる機会損失を整理し、関係部署に理解出来るストーリーを組み、関係者全員が納得したと判断したらGOを出す。
その実験が上手くいった時の痺れる感覚はもちろんだが、失敗したとしてもみんな納得しているので誰も文句は言わず、すぐに事前に仕込んだ二の矢三の矢を打つことが出来る。楽しい。

これらの仕事では、自分の思想がいい方向に強く影響しているなと感じる。思想を強く整然とした言葉で発露できる人は、外から見て正体不明な不安感もなく「こいつが言うならいいだろう」と見てもらいやすい。
人の印象はネットワークの中で加速度的に構築されていくので、幅広い部署と関わる中で誰が見ても「いい技術者だ」と思われるようになった。たった1年でその感覚を得るところまで来たのは、自分の思考への自負を強く押してくれている。

〇2021年について
来年はどんな年になるだろうか。
新型コロナウィルスはまだまだ収束せず人々の不安は募る一方、米大統領交代によってリベラルによる「自由はいい、人は自由になるべきだ」といった扇動は加速し、どんどん人同士の敬意が失われ、分断が加速し、息苦しい世界になっていく。そんな気はするが、いやだなぁ…
(トランプ政権を経たリベラルが、その意識を取り戻していればまた違うとは思う。そうあって欲しい。)

と言っても自分はしがない一個人なので、相も変わらず友人を大切にし、人を理解しようと1歩ずつ歩みを進めていくのだろう。
今年もいい一年だった、来年もいい年になるといいな。

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