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精神性から見る(超主観的な)オリエンテーリングの魅力

どうも、オリエンティアAdvent Calender主催者の書きたがりの方こと、田中基成です。
大学4年時に立ち上げたこの企画も今年で5年目になりますが、寄稿するのは裏含め4回目。今年は裏の2日目に寄稿しています。
https://adventar.org/calendars/5731
過去にはこんな記事を書いてきました。

それはなぜなのか?」みたいな話ばかりですが、要はこういうことを考えるのが好きなのです。
今年は「精神性から見るオリエンテーリングの魅力」ということで書いてみようと思います。

〇僕が好きなオリエンテーリング

極めて個人的な話ですが、僕はスプリントよりフォレストが好きです。
また、フォレストの中でも植林樹が理路整然と並ぶ日光テレインより、原生林がそのまま残る高原テレインの方が好みで、林道もなければない方が楽しい。そして、今までで1番楽しかったのは間違いなく伊豆大島の『裏砂漠・奥山砂漠』。
この辺りに自分がオリエンテーリングに感じる楽しさの根源があるのではないかと睨みました。

初伊豆大島で思わず笑いながら走っている僕、なんと当時20歳である…

あっさり読み解くのであれば「未知の世界への冒険的な側面が好きなのではないか?」といった感じですかね、この感覚は以前の記事にも書いています。
じゃあこれで!と結論付けても、なんだかありきたりで面白くないのでもう少し考えてみようかなと。

〇登山を通じて見える視点

ところで、僕は山が好きです。
現役(?)オリエンティアの中で最も山を愛している、くらいには好きな気がします。
北アルプスを夜を徹して50km歩いてみたり、冬山ではピッケルを振って壁に張り付いてみたり、はたまたアドベンチャーレースでのMTBやカヤックやOMMなど、あらゆる山遊びに手を出しています。

段々と過激化する山遊び、クライミング楽しい…みたいな生活の中で芽生え、徐々に肥大化してきた違和感、それは「登山道、なんか気持ち悪いな…」というものでした。自分は「山遊び」をする中でまさに「山と遊んでいる」のですが、そこに在る登山道が若干の嫌気のようなものを覚える。

う~ん、これはなんだ…

○ 東洋哲学的な視点から見る山遊び

そんなことに悩む中、仏教学者鈴木大拙の『東洋的な見方』という本を読んで、思考を打開する視点を得ました。この本の一節には、西洋と東洋での世界の捉え方の違いが対比で書かれています。

○西洋的な見方:二元性的に捉える。自分と世界。自分と自己。自分と人。
○東洋的な見方:分割せずそのまま捉える。神が「光あれ」と、光と闇に分けた世界以前の世界を捉える。

東洋視点はめんどくさい言い回しですが、いってしまえば「目の前の人や山とお前は何が違うのか?同じ『世界』ではないか」みたいな感じです (哲学ガチ勢に怒られそうですが…)

著名な漫画『プラネテス』では、この思想を強く表現していますね。いい漫画です、是非読んでください。

余談ですが東洋より西洋が近代化に先行したのは、二元的な見方(≒事象の相対化)が近代産業を興すという意志へ人を導き、またそれらを合理化、精鋭化するのに適していたからだと考えています。

では話を戻して、この視点で登山という営為を見てみましょう。

きっと西洋では「山を征服した」と感じるが、東洋では「山と仲良くなった(調和した)」と感じるんじゃないでしょうか。

ここにビビッときました。

○登山道への違和感の正体

自分は山と調和する感覚が楽しく、山にハマっていたのか…と気がつくと同時に、先述の登山道へ感じた違和感の正体にもピンときました。

仲良くなりたい相手(山)との間に、他人に介入してほしくないのです。なんて単純なんだ。

登山道、それは先人たちが描き切り開いた道ですが、それはまさに他人の意志であり、そこを歩くことは自分の意志ではありません。それに乗っているうちは、決して山と仲良くなれないでしょう。

うーん、あの登山道歩いている間のモヤモヤはこれだ!

自分と山の間に一切の異物が介入しないクライミングや雪山が楽しいのにも納得!

○オリエンテーリングは何が楽しいのか

めちゃくちゃ遠回りしていますが、話がオリエンテーリングに戻ります。

自分はスプリントよりフォレスト、人工林より原生林、道より森が好き…

そして、登山は山と仲良くなりたくてハマっている…

ああ、答えが出ましたね。

誰の足跡も感じさせない自然の中を、地図を読み自分の意志だけで進んでいく。この行為そのものが自分にとってのオリエンテーリングへの「好き」の根源であり、面白さの根源だったのです。

オリエンテーリング中にいわゆる「ゾーン」に入ったことがある人は、自分だけの静かな世界、自分の境界線を溶けて世界と混ざっていくような感覚を得たことが在るのではないでしょうか。まさにあの瞬間こそが、山と仲良くなったことそのものなのだ!

ここまで読んでくれた人の多くが「なんてめんどくさいやつなんだ…」と感じている気がしますが、よくよくわが身を振り返れば皆さんの中にもきっと同じ族はいるはず…いるよね…?

○ 色々な『山遊び』のススメ

こうして自分は今の自分を形成した「オリエンテーリング」というスポーツへの愛を再確認したわけですが、これは様々な山遊びに手を出したからだと強く感じています。

オリエンティアの大半は「山が好き」だと思うので、それに気が付かずオリエンテーリングとともに山から去ってしまうのはもったいない。なので、とりあえず他の「山遊び」をしてみるのはいいんじゃないでしょうか。

最近は登山するオリエンティアはむくむくと増え、オリエンティア軍団のような別業界へ殴り込みする輩も盛り上がっています。山をやっている限りは、オリエンテーリングとの縁は切れません。いつでも好きだったこの世界には戻ってこれます。

僕の山の師が昨年にこの記事を寄稿してくれましたが、こんな世界もあります。激しい山遊び、楽しいですよ。

女王稲毛選手も2018年にこんな記事を寄稿してくれています。フラフラとした末に戻ってくること、それは決して無駄な出戻りではないはずです。

〇 余談 ~この一年間について~

昨年の暮れ、会社のデスクで今年も終わりだなぁ…などと想い耽っていた時に所属長からの手招き。そこで宣告されたのは「2020年2月1日付けで室蘭への異動を命じます」という無慈悲な通告。
こうして僕は25年間暮らし友人が多く住む関東を離れ、北海道の田舎に一人投げ込まれることに。

さらに襲ってきたのは新型コロナ、会社は大不景気へ一直線。雇用調整のため月3日の臨時休業に加え、残業の禁止。ならば遊ぶかと思っても、毎週のように遊んでいた友人も遠くへ離れ、給料もカスカス…そして、手元には膨大な時間が。
いかんせんあまりに暇なので本を読むようになりました。大学在学時に一冊も読まなかった人間が、なんと自発的に…

以降どっぷりと、色々な哲学思考に触れ、考えることが趣味になってしまいました。そんな中で「自分はなぜオリエンテーリングが好きなのか」を考えていて、少し面白くも納得のいく説明が浮かんだので、つらつらと書いてみようかなというのがこの文章のきっかけです。

また、バイク免許を取って北海道やら本州やらを気ままにツーリングしてみたり、クロカンスキーや山岳スキーに手を出してみたりしていますが、これらは北海道にすまなければ手を出すことがなかったものでしょう。

あの無慈悲な宣告からもう1年が経とうとしていますが、きっとこれも無駄な遠回りではなく、自分の世界の見方を豊かにする経験なのだろうなと感じています。

きっとこんな文章も、一年前の自分ではかけなかったはずです。

まあ、たまに遠回りな気がしても、気を抜いて人生楽しんでみると意外と楽しいもんですよ。ということが書きたかったのかもしれない。

(でもあと1-2年で一通り満足する気がするので、そのタイミングで関東に戻してほしいな!!弊社に届け!!この思い!!)

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