77年アメリカン・ポップス
Noteのバッジにそそのかされて、古い持ちネタの再利用中心にやってみて、たぶん、今日で29日連続投稿。明日で30日達成でスローダウン予定ですが、やってきてNoteの良さとか特性がちょっとわかった気分に。
やはりフォーマットが書きやすいし、読む可能性がある人たちも大多数は自分で書いたり描いたりしている人たちだと思うと、想像だけかもしれないが、砂漠にまく水ですぐに蒸発してしまう感のあるSNSと違って、書いたものがそれなりに読まれている感がある。それはけっしてスキの反応がなくても。
逆にスキの反応してくれた人のを読むと、やはり、こちらのアホな投稿にわざわざスキしてくれた人の書くこと、描くことは、なにか同好の士みたいな関心の共通項を感じたりする内容が多かったりするので、結構、読むのがおもしろい。なかなかいい内容のも多い。
まだ籠もって仕事をする生活が続いているので、仕事の合間に、下書きを校正したり、ちょっと10分20分で息抜きでできるのがいいと思っている。
以下、30日でくじけそうなワニくんのDay 29。昔、ふと、ごっちゃになっているある時期のアメリカンポップス女性シンガーについて頭の整理をしたときに書いたものの焼き直し。
先日、知人のところにいったら、"It's so easy to fall in love..."というのがかかっていたので、ああ、Rita Coolidge ですね、といったら、Linda Ronstadtのだった。
ある日曜、二日酔いだったので、ごろごろYouTube聴いて、その年代あたりの、唄がうまいアメリカ人の歌手でごっちゃになっているのを頭の整理しよう試みる。
「1977年」という年が、ごっちゃになったアメリカン・ポップスの女性シンガーのひとつのキーだった。たぶんそのころ、自分が全米ヒットチャートとかラジオで聞いていて、流行っていたのを聴きしたしんでいたということか。それぞれ違うんだが、似ている。
Linda Ronstadt "Blue Bayou"
Rita Coolidge "Your love is lifting me higher"
Crystal Gayle "Don't it make my brown eyes blue"
などなど。
基本、カントリーウエスタンくくりなのか、カテゴリーがよくわからないが、自分にとっては70年代後半の憧れのアメリカン・ポップスのヒット曲という感じ。
クリスタル・ゲイルの、「私の茶色の目をブルーにしないで」という謎のタイトルの曲のイントロのピアノがなんとも懐かしい。
でも、やはり1番よかったのは、この↓リンダ・ロンシュタットのBlue Bayou。さびで伸びやかに絶唱するやつ。リンダはロンシュタットというドイツ語っぽいラストネームだし、北の方の普通のアメリカ人だとばっかりおもっていたら、後年、メキシコのマリアッチのアルバムをだしてきてびっくり。調べたら、アリゾナ生まれで、お祖母さんはメキシコ人だった。好きな歌手にローラ・ベルトランというマリアッチの大御所をあげている。そういえばBlue Bayouもサビで絶叫するところが、後年のマリアッチを彷彿とさせる(マリアッチも結構絶叫するんです)。
リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt、1946年7月15日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性歌手、ミュージシャン。米西海岸を代表する音楽アーティストの一人。1970年代にソロシンガーとして開花し、1980年代までトップの地位を確立した。1990年代半ばからの病気による影響で、2010年代以降は引退を余儀なくされている。
父方の曾祖父がドイツからの移民。曾祖父はメキシコ人と結婚。リンダは4人兄弟の3番目。父親は金物店経営で成功したが、若い頃はラジオ番組やクラブにも出演した歌手だった。父は子供たちに幅広く様々な音楽を聴かせた。母はギルバート&サリバン(アーサー・サリヴァンとウィリアム・S・ギルバート)の大ファンで、リンダもラジオから流れる50~60年代のヒット曲に親しむ。音楽的背景としてペギー・リーやビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーンなどの女性ジャズシンガーが挙げられ、最も影響を受けた歌手としてはメキシコのランチェーラ歌手・ローラ・ベルトラン(英語版)を挙げている。1960年代初めにフォークブームが到来し、リンダはジョーン・バエズを愛聴し、兄と姉との3人組でツーソンのコーヒーハウスやクラブで歌い始める。地元のフォーク・シーンの中心人物だったのがボブ・キンメルで、14歳のリンダの歌声を聴いて、一世代に一人しか現れない歌声と認識したという。 (Wikipedia)
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