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屋根の上

ちょっとした気づきからの連想。

先週、知人とビールを飲んでたらウクライナの話になる。

知人は若き頃、ソ連時代のウクライナに旅行したことがあるという昔話。

ソ連政府のインツール?のガイドに監視されながらの旅だったとか、美味い地酒の唐辛子入りウォッカの味をそこでしったとかいろいろ。

こちらとしてはへぇという気づきはこれだった。

「キエフの郊外の村にいったら、あの屋根の上のバイオリン弾きそのものの光景だったよ」

。。。

「え?あれってウクライナ?帝政ロシア時代のユダヤ人一家の話とは知っていたけど」と聞くと、

「ウクライナ、ウクライナ。有名な話。黒海に面したウクライナは、ウクライナ、ロシアなどスラブ系のほか、ユダヤ系とかトルコ系とかクリミア半島の民族とか、いろいろいるんだよ」との返事。

すると、いろいろ、映画の記憶が蘇ってきた。

アナテフカという名の村の貧しいが伝統を背負いながら、ささやかな人生を生きている一家の物語。

ユダヤ教の音階なんだろうか?マイナーなちょっと東洋的な、いくつか音抜けのスケールの物悲しいメロディの曲。

サンライズ・サンセットとか、金持ちだったらとか、Far from the home I loveとか、トボルというイスラエル人の役者が演ずるテビエがガラガラ声で語りかける Do you love meとか、もの悲しい名曲がいっぱいあったっけ。

唯一、明るくて躍動感があって希望に満ちていたのが、Miracle of Miracles 。

一家の娘に惚れた仕立て屋の息子が結婚を許されて有頂天になって歌うやつ。

なぜか、僕も自分の結婚が決まった時、Wonder of wonders, miracle of miracles, God took a tailor by the hand (だったかな、記憶曖昧)とか言うこのメロディーと歌詞が頭に流れた。自分、テイラーではないんですが。神がこんな自分にも奇跡を与えてくれた、というような。

不思議にもメロディと歌詞が全部頭のなかで流れてくる。森繁久彌の劇を観たというのではなくて、70年代のハリウッド映画を観て、そのレコードを持っていて、それを聴いていたという記憶。どんだけあのLPを聞いていたんだという話か。

サンライズ・サンセットなんて、歌詞を改めてみてみると、しみじみするいい内容。いつのまにか、子供が大きくなって大人になっていたよ。日は上り、また沈む。そうそう、子供はいつのまにか、あっという間に大きくなる。

まあ、ウクライナ生まれの劇でもなくて、イスラエル発でもなくて、アメリカで移民3世くらいの層が祖先の伝統をモチーフに、ウクライナの作家の小説をミュージカル化したということらしいので、日系アメリカ人がつくった日本ミュージカルみたいに(そういうのがあれば)ある程度作られた部分もあったのかもしれない。

でも、キエフ郊外に、あのバイオリン弾きが屋根の上で物悲しい単音のメロディを弾いていた村があったと想像すると、なんだか絵になる、いつか一度、あのあたりに行ってみたいと思う。たぶん、戦乱前には、アメリカ人向けの屋根の上のバイオリン弾きの村ツアーとかやっていたんじゃないだろうか。

ニュースをみていると、危機は泥沼化の様相を呈している感じはするが、メディアが伝えないところで事態収集への努力が続けられていると信じたい。

やはり、人類は中世を経て17世紀のウエストファリア条約以降は、国と国との間にある一定のルールが設けられてきたので(2つの大戦はあったが)、そのルールの枠内に収めて落とし所をさぐる動きがあるものと信じたい。素人発想で喧嘩の成敗的に危機の行方を想像するのでなくて、国際法とかそれなりの枠組みのなかでそういう何百年もの人類の歴史の進歩を踏まえた人たちが汗をかいて決着を模索していると思いたい。歴史は繰り返す、人類は学んでないとする人もいるが、けっこう人類は学んで進化していると信じたい。

「屋根の上」からの連想はそんなにないが、あまりおもしろくないのも含めていくつか。

昔、小学生高学年から中学生の頃、アマチュア無線というのが趣味だった。ちょっと黒歴史。もしPCが世の中に登場していたらそっちにいっていたかもしれないが、秋葉原に部品を買いに行っては、基板に部品をハンダ付けしてちょっとした機器をつくったりしながら、屋根にアンテナを自分で建てて、50MHz(だったかな)のFM波とか、もっと短波で電信通信とかやったりしていた。まあ、PCがでてくる前の昭和時代のオタク。まだ今でもモールス信号は覚えているかな(なんの役にもたたないが)。

それで、屋根に登ってはアンテナを据え付けて、時にそのアンテナの角度を変える必要がでてくると、また登って変えるということをしていた。屋根は夏は暑く、冬は冷たかった。まず天井からケーブルを通して、それから屋根に登ってワイヤーで張ったアンテナに繋いでいた。

屋根の上では、季節がいい頃の夕方とかには、近所の野良猫が数匹で会議をしているのに出くわしたりした。人懐っこい野良たちは、腹が減っているのか、こちらがいっても逃げずに、逆にみゃあみゃあと食い物をねだり擦り寄ってきて、こちらの作業を邪魔していた。

かつて、「屋根の上のアンテナ設営人」だったという話。

先日、シンガポールのインターに通う高校生の娘が、友達と学校の英語の授業(英語がベースなので国語の授業のような)に関係してある劇を見に行きたいという。それなりの値段がしたので、なんの劇かと聞くと、グラス・マナジェリー、変わった名前の作家のテェンシーなんとかのという。

あれ?なんか聞いたことがあるな、と遠い記憶を探ったら、たしか高校の英語の授業でその部分が教科書に引用してあったテネシー・ウィリアムスの「ガラスの動物園」とわかる。

おやじは急に偉そうに知ったかぶって、テネシー・ウィリアムスといえば、欲望という名の電車 Street car named Desireとか、熱いトタン屋根の上の猫とか名作を残した、アメリカの戯曲家の大御所だ、繊細な魂が現実社会の暴力で傷付けられる悲しい話をたくさん残しているよとドヤ顔で解説。といってもその3つしか読んだことがなかったが。

正直、筋もおおかた忘れてしまったが、ガラスの動物園では、主人公の婚期を過ぎた女性がガラスの動物を収集していて、それが壊れることで、その女性の傷つきやすい存在がうまく表わされていたなと記憶している(それとももっと違う話だったかな?)。

人生けっこう生きてくると、「幸薄き人たち」と表現するしかないような、繊細で弱い人たちの悲劇を垣間みたりしてきたが、そんなことがあるとこのガラスの動物園の主人公を思い出す。

トタン屋根のほうはどんな話だったっけ?たしか映画でエリザベス・テイラーとかポール・ニューマンとかがでてたのをテレビの映画劇場でみた記憶があるが、筋が思い出せない。もっと、どろどろした人間模様の話だったか、熱いトタン屋根というのが、アメリカ南部の暑さを感じさせてくれる題名だったが。

僕がアンテナを直しに登っていた家の1階の屋根はトタンだった(2階の上は瓦だった)。あれは、夏の日が高い間は熱く熱せられていて、とても登れない。暑いトタン屋根の上の猫とは、どんな比喩であったか。鉄板焼の上のグリルみたいなことなのか?

暇ができたら、あの戯曲か映画をみて確認しておきたい。 ■

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