エンブレイサブル・カジモド 抱きしめたくなるノートルダムのせむし男

モダンジャズの最盛期にいろいろな歴史に残る録音でピアノを弾いていた名手トミー・フラナガンによる、心地よいテンポのスタンダード曲の Embraceable you。ぎゅっと抱きしめたくなるあなた、というような意味の題名だろうけれど、訳しにくいので原語で「エンブレイサブル・ユー」として原題で日本でも知られている。ベースとドラムもはいっての後半は同じ曲のコード進行をベースにしたチャーリー・パーカー作曲の Quasimodo。

ジョージ・ガーシュイン作曲の原曲は、とてもシンプルなメロディ。コード進行も心地よくて、聴きながらついうとうとしてしまう。春眠暁を覚えずみたいな曲。たぶん、メロディがあまりにもエモーショナルな感じすぎるから?それともコード進行が切なく心地好いからか、このコード進行をベースにして別のメロディを載せたジャズの曲がけっこうある。その代表が、チャーリー・パーカー。

最初はたぶん作曲というのではなくて、チャーリーがたまたまこの曲をスローなバラードでアドリブで吹いた時に湧き出てきた即興の旋律がメロディみたいに美しくて、自分でも気に入って何度かソロで登場させて、しまいにはメロディみたいに吹くようになったんではないか。原曲よりも美しい旋律だと思う。この下のリンク。レコードでの曲名は「エンブレイサブル・ユー」となっているが、のっけから吹くメロディっぽいのは、その彼のアドリブがもとの旋律でオリジナルのメロディは出てこない。学生時代聞いていた頃は、これ、頭からアドリブやってるわと思っていた。


https://youtu.be/tqQfX4j6Mi0

冒頭のトミー・フラナガンの演奏では、後半はインテンポでQuasimodoを。これはチャーリー・パーカーが曲として、Embraceable Youのコード進行にのせて作曲したもの。

Quasimodo は、ノートルダムのせむし男カジモドからなのだろうか。quasi-mode 仮想のモード?ほとんどモード?の、言葉の遊び語呂合わせからなのか。

コード進行がやはりちょっと物悲しいので、姿は醜いけれど心が純粋なせむし男が、鐘をつきに寺院の階段をびっこを引きながらゆっくり登っているような、そっちを連想。インテンポのテーマは、ビーバップのイディオム満載だけどディズニー映画の音楽のような無邪気なメロディで、ちょっと悲しい。

ピアノもベースも、Parker phrases へのリファレンス満載。トリビュートみたいに、あなたはもういないがあなたのアドリブをちゃんと引き継いでますよみたいな。最後はダメ押しみたいにトミー・フラナガンがチャーリーがよく使ってたクラッシックのエンディング決めフレーズみたいなので曲を締めくくっている。

これが、オリジナルのチャーリーのカジモド:

この曲、僕にはなんだか、田舎を走る電車に乗っていて、ずんずんと電車が枕木を跨ぐたびにカタンカタンとインテンポのリズムが刻まれるなかで、ときどき対向電車がわっとすれ違ったり、ズーンとトンネルを通り抜けたり、電車と並行して走る道路を走る車を追い越していったり、いろんなリズムがその基本の4ビートに載っかっては去っていく、そんなリズムの饗宴みたいに聞こえて、おもしろい。そして、車窓から去っていった光景はもう戻らないというような、悲しさも漂う曲。

トミー・フラナガンといえば、90年代に、NYのCondon'sというもう無くなってしまったライブハウスがあって、その入口のバーカウンターでスツールに座るか立ち見するかで奥のライブを覗いて聞いていればライブ・チャージ不要で、酒1杯5ドルに税・チップくらいで夜な夜なライブが聞けたんだが、NY到着間もないある日、そこでなんと伝説のトミー・フラナガンを聞けた。もう彼が70近い頃か。たしか2000年頃に80代で亡くなられたが、Bebopジャズの生き証人のような人の演奏が聞けて、あれは凄かった。サラリーマンをしてたので、平日の帰りの8時とかにひとりで寄ったらやっていて、え、本物?嘘だろ!とひとり感動していた。20代終わりのほうの頃の大事な思い出。

(タイトル写真は、Note Gallaryから、ノートルダムで検索してでてきたなかから、なんともいい感じの写真を拝借。そういえば、火災後の修復は進んでいるんだろうか)



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