いつか髪が伸ばせる日まで(3)

(3)小学校から中学への申し送り問題

 小学校での最初の「兆し」は6年生の秋頃から現れ始めた。
 娘は保育園で2回発達障害者支援センターの相談支援員の訪問をしてもらい、小学校の期間中も1年生時と3年生時に学校側から支援センターへ出向いて説明をしてもらっていた。4年生以降は特別支援コーディネーターが交代していないことを理由に1度連絡を取ったと報告があったが「今のところ上手く行っている。もし心配なことがあったら、特別支援コーディネーターでも、学習支援員の先生にでも、いつでも相談して。」と言われ、支援体制は揺るぎないものに見えた。なにより、娘が5年生までは校長先生が特別支援やいじめに理解と経験が深く、学校全体が支援的環境に整えられている感じだった。
 6年生になって校長・教頭両先生が交代した。しばらくして、なんとなく情報が届きにくくなったな?と感じた。とはいえ前年からの担任の先生はベテランで、机をコの字に並べて個別指導を行うなどの手腕の持ち主だったし、5月の家庭訪問も特に問題なく夏休みを終えた。その時期、私は発達障害者支援センターで「運動会が終わったころに、教育センターで12歳時点でのWISCの数値を取ってもらって中学校に引き継いでもらう準備を始めましょう。」と言われていた。支援センターの担当者も、小学校からはこれまでの支援の経過を知るために、当然に支援会議の要請が来ると思っていたようだった。私にしても三男の時にも経験していたことだったし、何の疑問もなく「支援センターからの連絡」として、娘の担任の先生に伝えた。その場で先生は「わかりました。上のものと相談します。」と答えられた。その後も冬に入るころ、一度「スケジュールは会わせますので、いつでもおっしゃってくださいね。」と話した覚えがある。

 しかし、小学校から支援センターに連絡が行くことはなかった。運動会が終わり、二学期の終わりになっても全く音沙汰がない。三男は夏に支援センター、小学校、保護者の三者で支援会議を行い、申し送りについては運動会が終わってすぐにWISC-3rdとSQの検査を教育センターで受けて、その数値を受け取った学校が、支援センター外の臨床心理士を依頼して再び三者での支援会議を実施して中学への申し送りの書面を作成してもらっていたことを思うと、あまりにも違い過ぎた。
 三男よりも困難の度合いが小さい娘は、ここまで丁寧にする必要はないだろう。とはいえ、申し送りが不要とは私も支援センター側も思っていなかった。母児同時並行面接の中で「あんまりせっついて、しつこいと思われると協力的でなくなってしまうかもしれない。しばらく待ってみよう。」と勧められて、私はじりじりしながら黙っていた。

 三学期になってついに、支援センターの相談支援員が「お母さん、小学校から全く連絡がないんだよ。この時期になってこれはおかしい。担任の先生に、中学校にどういう申し送りをしたか確認してみてくれる?」と言われ、その日、私はすぐに小学校に電話を入れた。

「娘の中学校への申し送りについてなんですが、発達障害児だという内容はお伝え頂いていますか?」担任のA先生(30代後半くらいの男性)
「いえ、伝えていません。」

あっけらかんと、朗かに、悪びれる様子もなく、それが当然という感じに即答された。
「はい?」一瞬、声が裏返ったと思う。
「伝えていません。」
「・・・・・・・・・。」
電話口の向こう、たぶんA先生はいつものように、朗かで快活そうな笑顔なんだろう。そう思わせるような声だった。
「あ・・・そう、です、か。」
「はい。」
「わかり、ました。こちらでも、ちょっと確認してまた、改めて御連絡します。」
「はい、了解しました!」最後までハキハキとした口調のまま、A先生は電話を切った。

ーなん、だって????
そんなばかな?どういうこと?あれだけ、何回も確認したよ?頭の中が疑問符で一杯になりながら、私はすぐさま発達障害者支援センターへ再度電話を入れた。

「申し送り、して、ない!?」相談支援員は、そう言ったまま、一瞬絶句した。
「はい。」
「いや、それ、マズいよ、お母さん。今、うまく行って見えるのは支援があるからであって、それがなくなったら、大変なことになっちゃう!」明らかに慌てた様子になった。
「どうしましょう?」それは理解している、でも、私も何と言ったものかも解らなかった。
「お母さん、それ、中学校に言った方がいい!こっちからも電話を入れるから、直接中学校に電話して。絶対ほっといたらいけない!。」
 2月下旬には中学入学前の体験入学もある。私は2月10日には半年前から予約していた手術で入院が決まっていた。言われるままに、すぐさま中学校に電話を入れた。娘の名前を告げて、来年度新入学する娘の小学校からの申し送りについて、質問がしたいというと教務主任が電話口に出た。たまたま、この時の教務主任は三男のことも知っている人だったから、話が早かった。

「小学校からの申し送りについて、娘が発達障害児だという情報は伝わっていますか?」
「えっ!?」教務主任は非常にびっくりしたようだった。「いいえ、全く。普通の・・・むしろ優秀な生徒さんという内容で届いています。」
「そう、ですか。5歳の時に診断されていて、ずっと療育に通っています。」
「いや、初耳です。お兄さんのことは詳しく聞いていたので記憶にありましたが・・・。」
 この時点で、小学校は本当に娘の発達障害に関することを一切申し送りしていなかったことが事実だと確認された。後日、学校事故重大事態調査で、小学校6年生の時の担任だったA先生には、調査委員会から経緯の説明を求める質問書が送付された。しかし、A先生は一切反応せず時間切れとなり、どうしてこんな事態が発生したのか?その原因は解らないままだ。

 突然の保護者からの連絡に、中学校側としては慌てたようで、とり急ぎ、職員間で対応を決めて折り返すということになり、その日は電話を終えた。
 その翌日だったと思う、中学のB教務主任からの電話で、2月の㏠体験入学の時に、保護者とB教務主任が娘の発達障害について詳しく話を聞く時間を設けてくれる、ということになり、ひとまず私も、支援センター側もほっとした。

 一連の、申し送りの不備は障害者差別解消法、発達障害者支援法に照らしても明らかにおかしい。しかも事件後に、娘の発達障害に関しては更にとんでもないことが発覚した。娘の事件が「起こるべくして起こった」問題構造の根底が発達障害に対する甘すぎる認識だったといえるだろう。

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