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毎日が、毎日続くと思うとなんか、怖いですよね

 比較的早めに出社してくる彼女は、1年目の頃から変わらない元気さでフロアに入ってくる。まだ人はまばらで、おじさん達が出社する前のリラックスした雰囲気が、彼女が来ることで一層軽くなった気がした。ひと通り挨拶を終え、隣の席についた彼女は、いつもノータイムで話し始める。クールビズになって少しカジュアルになった服装は、彼女の印象にさらに色を与えていた。

「今日から半袖にしたんですけど、今からしちゃうと8月くらい、死ぬんじゃないかなって思いません?」
 こちらから服装に触れるのは、あらゆるハラスメントを警戒して避けていたけれど、その距離は無いものかのように、見ればわかりそうな情報から教えてくれる。日中は感じない、脳みそを使っていないような会話が心地良い。

「夏になったらエアコン入るからまだ、むしろ今が1番暑いんじゃない?」
「確かに(笑)これは今日、暑すぎるんでお酒飲みたくないですか?」
 この暑さが本当に気に食わない様子の彼女は、一応の相槌をしてみせて、暑さを肴に酒を飲む計画を立て始めた。この場合のハテナは、いいねと言っておけば、定時で上がれた方が適当に駅前の居酒屋に入って待つところまで織り込まれているやつだ。

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 茹だるような暑さって、こうゆうことなのかなんて考えながら、まだ日中の暑さをはらんでいるアスファルトから逃げるように店に入った。17時15分の定時は近隣の会社より早いらしく、金曜以外は予約なしで大体どこにでも入れる。よく見る学生のバイトの子に、少し遠めから指で2を作り見せると、入り口から2番めの席を促される。一昔前のJーPOPが控えめに流れる店内には、40代くらいの男女が1組いた。1杯目を待つという選択肢は普段なら無いけれど、今日はなんとなく、待ってみることにした。

「う〜〜暑すぎますね、これもうレモンサワーとか1番美味しいんじゃないですか?」
 外の暑さを若干従えて来た彼女は、また席について早々反射で喋っている。去年のこの時期はビールが1番と言っていたけれど、それはもう自分だけが覚えていればいいと思った。

「先輩って、五月病とかならなそうですよね」
 頼んだメニューが続々と出てきて、テーブル上は余白の多い皿同士が喧嘩していた。パズルをする子供のように、手に持っているチャンジャをどうにか隙間に入れようと苦戦していた彼女は、一旦諦めたのか、手を止めてこちらを見ている。いつも目を見て話してくるところが、性格を表しているなと思いながらチャンジャをもらう。

「まあ、ならないね。でもそうなる人の気持ちは分かるよ」
「簡単に、分かるなんて言わない方がいいですよ」
 こっちの返事はレモンサワーに流されて、皮付きポテトに押されるように腹に仕舞われた。人の気持ちが分からないほど冷たい人間だと思われているのは癪だけれど、実際彼女の居酒屋トークは、独自の理論ばかりで分からないことも多かった。
「分かってるのかもしれないんですけど、分かってるって思っちゃってるのが、分かってないのと同じだと思うんです」
 そこまで言って、諦めたように話題を引き返した彼女は、その後実家の猫の話を機嫌よくしながら、何故か泣きそうだった。

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 駅に着けばそこからは反対方向なので、改札に入ると彼女は、ぺこりとお辞儀をしてホームに向かって行った。こちらも同じように頭を揺らしながら、そこにはまだ、駅まで歩く途中突然再開された話題が、飲み込みきれずに残っていた。

「分かってるって思ってる人は、そこで止まると思うんです。分かってないと思う人は、まだ考えるんです。そうゆう人が、本当の意味で思いやり、みたいなのがあるんだと、思います」
 ホームの自販機で水を買って、そこに映った自分が記憶よりも老けて見えた。彼女には、どう映っただろう。

「きっとこうゆうのも、珍しい動物でも見たくらいに思ってると思いますけど、そうじゃないんです。いるんですよ、猫くらい」
 酔った頭ではまともな返しはできなくて、ただ「ああ」とか「そうなんだ」とか言ったような気がする。彼女も酔っていたのかもしれない。
 流れて行く反対の電車を見ながら、時々生きづらそうにする彼女が、猫になった姿を想像していた。仕事中のクリアな雰囲気が曇る瞬間、それさえももう、分かっていないということなのかもしれない。

 まだ月曜日だからか、深夜の電車は死んだ顔のサラリーマンがちらほらと、大学生のカップルだけだった。いかにも世俗的な彼らの気持ちを想像してみようとして、やめた。スマホが震える。

「明日からも頑張りましょう」
 やっぱり、テンプレートのような言葉が、彼女には似合わないような気がした。

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