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ある時は一人、 ある時は10人、 実体を持たずに忍び寄る白い影

これは前回までに続き無限シャードにやってきた私の生き様を語る個人的な手記である。

無限シャードにおいてベス北商店街のセールが大成功したとき、私の無限活動もピークを迎えていた。
桜を咲かせるためのイベントでの一体感は今でも熱く記憶に残っているし、その頃の無限民の団結力は誇らしさすら感じられるものであった。

その頃、無限の片隅にある結社が誕生した。
それが獅子丸一家である。
「ヨッス。僕は、リーダーの獅子丸。通称ヨッス。奇襲戦法と変装の名人。
僕のような天才策略家でなければ、百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらん。」
以下十人程の己の分身が無限に活動し始めた。
そのため人によっては私を認識するのにししまるであったりドルシラであったり、ルナ=シェラハだったりしただろうが、それらが獅子丸一家として活動していた事実を知るものは少なかった。
よって「ヨッス」という統一性のある挨拶を導入する前はかなり近しい間柄の友人であっても私の全キャラクターを把握している者は皆無だったに違いない。
なぜそういうことをしたのかと言えば、異なるコミュニティに潜入しやすくするため、つまり諜報活動を行い、無限に起こる物事や人物を観察していたのだった。

そのころ、無限はいろいろなコミュニティーが存在し、それぞれが熱かった時代であった。
全盛期よりはかなり人口は減ったのだが、その分濃い成分が抽出されたような状態といってよかった。無限新聞をはじめ、イベント興業やアパート、下宿、襲撃、戦争など話題に事欠かなかった時代であろう。
ただし、あえてここではその詳細や功罪については語るまい。
それはおのおのの立場もあり、見方も違うからだ。

だがその頃、急速に無限は過疎化が進んでいく。
何が悪かったのか?それは私にもわからない。
ある人にすれば、敵対する勢力との抗争に飽きたのだとか、人間関係に疲れたのだとか、いろいろ変わっていくことについて行けなくなったのだとか、それぞれの理由があったと思う。
しかし確かなのは無限のピークは終わり、潮が引き始めたのだ。その流れはもう誰にも止めようがなかった。

私も私生活が変わったことがきっかけで無限生活にピリオドを打つことになった。
私の場合、ブリ銀がモンスター侵攻により使用できなくなり、ヘイブンに移らざるを得なくなったこと、そしてその頃流行っていた銀行前の麻雀(もしくはその他のUO外ゲーム)が友人との冒険や会話の時間を少なくしたことが原因だった。
しばらく他シャードへ遠征にいくのが流行ったのもこの頃からだったかもしれない。
楽しそうに他シャードの話題について語る仲間たちとは、距離感を感じていた。
また、そのころGT7という家を維持するにはもってこいの課金方法ができ、プレイする必要もなくなったのだ。
3ヶ月に1度GT7をぶっこむだけの年月は、そのGT7が廃止されるまで続いた。

私は事実上無限を引退したことになる。

無限に別れを告げた獅子丸一家。
しかし依然として無限では炭火のごとく情熱を持ち続けた友人たちがいた。

イベントを企画し、新たなる流れが無限にわき起こった。
この時代に無限を盛り上げようと活躍してくれた人々がいたおかげで今の僕がいるのだと思う。

次回、「時は流れ、また時代が動いた・・・!!」
お楽しみに。

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